イベント納期を理由とする人命軽視は許されない

 2023年7月下旬、2025年開催予定の国際万国博覧会(大阪万博)の準備のため、主催者側が政府に対して、建設業の時間外労働の罰則付き上限規制を適用しないよう要請した、との報道がされています。

 けれども、このようなイベントの納期を口実とした残業規制逃れは、直接に人の命を軽視することにほかならず、決して許されないものと考えます。

 ごく最近、2020東京五輪においても、メイン競技場の建設準備に従事していた若者が過労自死に追い込まれています(京都新聞2020年1月9日「『身も心も限界』23歳男性が過労自殺 新国立競技場の急ピッチ建設で『残業190時間』」)。

 日程の決まったイベントのため納期がある、との理由は、大きな職場から小さな職場まで、多くの現場労働者に違法危険な長時間残業を強いることを正当化する口実とされがちです。近年においてもその犠牲で人命が奪われ続けています。  このような現状の中、範を示すべき立場にある官民の巨大イベントにおいて人命軽視の脱法が模索されていることは非常に残念で、許されないことだと思います。

嘘の労働時間記録をつけさせられていても

使用者には労働時間を管理して記録する義務があり、また働き方改革に伴い残業時間の上限の遵守が従前よりさらに厳しく要請されるようになっています。

けれども、そのような状況でなお過労死・過労自死が疑われる違法な働き方をさせている職場では、本当の業務時間の通りの労働時間記録を行っている職場の方が珍しい、という実態にあります。

労働時間記録を全く怠って、何の記録もしないのももちろん問題です。そして、さらに悪質なケースとして、会社や上司があらかじめ計画的に労働者に指示して、事実と異なる短い労働時間の記録だけを残させる、という場合もあります。 

過労死した家族から生前、そのような嘘の短い労働時間記録をつけさせられていた内情を伝られていたご遺族の中には、長時間残業の証明などできないと思って、最初から過労死の労災認定や会社の責任追求など無理だと諦めてしまわれる方もいらっしゃいます。 

けれども、本当の残業時間を証明する方法は会社の労働時間記録だけではありません。通勤に関連するもの、業務内容に関連するもの、本人の日記や手帳、SNS投稿、家族や友達への連絡など様々な方法で証明することができます。

このような資料による残業時間の証明は労基署にも裁判所にも認められています。

会社の労働時間記録が全くなくても、残業の少ない嘘の労働時間記録をつけさせられていても、別の証拠で長時間労働が証明され、労災も会社の責任も認められた例はたくさんあります。

会社が労働時間記録をしてくれていない場合や、嘘の短い労働時間記録しかないような場合でも、諦めずにご相談いただきたいと思います。

>>過労自殺(自死)について 「早期の証拠の収集が大切

追い詰められる若者と徒弟の弊害排除

 一人前になりたい、何者かになって夢をかなえたいと目標に向かってひたむきに頑張る若者の姿は眩しく、応援したくなるものです。

 けれども若者が被害に遭った過労の事件、長時間労働やハラスメント被害の事件を受けるにつけ感じるのが、そのような若者の意欲や志、そして夢がかなわなかったらどうしようと不安に感じる心に付け込んで利用する大人が少なからず存在する、ということです。

 目指す世界で実績と権威のある、師匠にあたるような上司に「一人前になりたかったらこれくらい(長時間残業、休日なし)なんて当たり前、自分の若いころに比べればまだまだ甘い」、力関係を利用してパワハラやセクハラをしておいて「特別目をかけて鍛えてやっているんだ、感謝しろ」などといわれ、逆らいようもないという被害です。

 呆れたことに、裁判になってすら「仕込んでやっていた」「修業中の身」などという弁解を続ける使用者もいます。

 若者自身も、過労やハラスメント被害で健康な判断力や自己評価を損ねてしまい、期待に応えられない自分が情けないなどと間違った自責の念に苦しみ続け、ひいては取り返しのつかない事態に至ることもあります。

 労働基準法69条に「徒弟の弊害排除」との条文があります。「使用者は、徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の取得を目的とするものであることを理由として、労働者を酷使してはならない」というものです。

 戦後すぐに同条が公布、施行されるにあたり「本条の趣旨は、我が国における従来の徒弟制度にまつわる悪弊を是正」「その監督取締りを厳格に行い、特に今なお封建的色彩の強い中小規模の事業の使用者に対し本条の趣旨を周知徹底させるよう努めるべき」と通達されています(昭22.12.9基発53号、労働局労働基準法(下)759頁)。

 しかしながら、そこから70余年経った現代の職場においてもこの封建的な悪弊がしぶとく残存し、若者を苦しめています。

 社会全体で、尊厳をもって健やかに働くのはどんな立場にあっても当然の権利だということを再確認する必要があります。 そして我々弁護士としても、使用者の修行中・勉強中・本人が望んでいた等の弁解に対し、加害の悪質性を減ずる事情ではなく逆に著しい違法性悪質性を示すものであることを、徒弟の弊害排除の精神を引いて、慰謝料請求や付加金・賃確法利息(賃金不払のペナルティ)請求の場面で示さなければなりません。

埋もれるセクハラメンタル労災

 セクハラ被害のために精神疾患を発症・悪化させる例、ひいては自死に至る例がある。

 しかしこれらが労災と認められるには、過労精神疾患・過労自死全般の労災認定の困難さに加え、さらに別種の乗り越えなければならない壁がある。そのため、申立にすら至らない暗数は多大であると考えられる。

 その壁の一つとしてセクハラ被害においてごく一般的にみられる「迎合」につき、いまだ社会の認識が追いついていない点がある。

 「迎合」すなわち、セクハラ被害者は仕事を失いたくない・被害を軽くしたいなどの思いから、加害者の機嫌を損ねないよう拒絶や嫌悪を隠して、調子を合わせたり誘いを受け入れるかのような発言や対応をとることが多い。

 もちろん、このような事情がセクハラを否定、軽視する理由にはならない。この点につき裁判例も重ねられ厚労省の精神疾患労災認定基準にも明記してある。

 しかしながら、被災者本人は精神疾患の影響で自責の念が強くストレス耐性も落ちていることが多い。もっと上手く強く対処できなかった自分が悪かったのではないか、被害を主張して他人から性的な落ち度だとあげつらわれ非難されたら耐えられない、等思い悩んで労災申請含む被害申告をためらってしまう。

 加えて、長期執拗なセクハラは通信記録が残っている場合が多いものの、これを職場の上下関係の機微を知らない遺族が見ても、一見和気あいあいと冗談を言い合って誘いを喜んでいるように見えてしまい、被害を認識できないことがある。

 社会の一人一人が、職場の力関係がある中で性的な発言をしたり個人的な誘いをかけることの加害性を認識し、被害者が迎合によって身を守らざるを得ないのは当然であることについて理解を深めて二次加害を厳に慎まなければならない。

それが、このような被害をそのものを減らすため、そして被害者が正当な権利を行使して被害を回復するために必須である。

不倫に関するトラブルと自死

 裁判所まで持ち込まれず、内々に処理、解決されることの多い法律事件の類型として男女のトラブルがあります。

 このようなトラブルの類型としては、既婚者と性的関係をもち、その既婚者の配偶者からある日慰謝料請求を内容とする通知が届く、といういわゆる不貞慰謝料請求のパターンが多いといえます。

 他に、既婚の方が独身の異性を欺いて性的関係をもったり結婚の約束をしたことに対して慰謝料請求される、という場合もあります。

 公になることが少ないのは、事柄の性質上、当事者が他者に知られることを極度に恐れることが多いためです。裁判所に持ち込まれる例よりも、内々で和解、示談となる場合の方がはるかに多い類型といえます。

 ですので、この種の事件の実数、増減の把握はできません。けれども、弁護士として各所で法律相談に乗っていると、ここのところまたか、増えているのではないかな、と感じることが多くなってきました。

 請求を受けた方が、自分だけでは用意できない金額を請求されたり、仕事関係や家族関係に知られて信頼をすべて失うのではないか、と悲観し、誰にも相談できずに自死に至るとの例も散見されるところです。

 こういった場合、ご遺族は請求を受けた家族が亡くなってはじめて遺品、携帯やパソコンの連絡内容、通知の郵便物などからトラブルがあったことを断片的に知ることになります。

 ご遺族に生じうる法的問題として、請求側の請求が成り立つ場合に慰謝料の支払い義務を相続することになる、という点があります。

 しかしながら、このようなトラブルは一般的に、当初請求額はいわゆる裁判水準よりも高額であることが多いこと、双方既婚の場合(いわゆるW不倫)、請求された側の配偶者も請求した側の配偶者(不貞当事者)に不貞慰謝料を請求できる立場にあること、不貞のいきさつから請求される側に責任がない・軽い事情があることも多いところなどから、弁護士に相談すればその額を大きく減じた解決となることもあります。

 亡くなった方の財産状況によっては、相続放棄が合理的な場合もあります。

 加えて、請求者側の請求の手段方法が法的権利の実現との目的の範囲を超え、相手方の名誉を害する、不利益をことさらに強調して恫喝する、根拠なく過大な請求を行う等の悪質性を備える場合は、逆に遺族が請求者に対し損害賠償を請求することも検討すべきでしょう。

 ご遺族としては、家族を急に亡くしたうえに予期せぬトラブルに混乱してしまうところと思われますが、慌てて遺族自身が対応するよりも、法専門家に一度相談することをお勧めします。

「ある自死遺族の話」

(以下の事案は、特定を避けるため、若干、事実関係を変えています)

 ある日の市民法律相談会の時、「息子がギャンブルの借金を残して自死した、ついては相続放棄の方法を教えてほしい」との相談を担当しました。

 その方に息子さん借金の内容、いきさつについて聞き取り、「何とか立ち直ってほしくて、何度も大きな借金を穴埋めしてやった」「仕事も続かなくて、知り合いに頭を下げて雇ってもらったこともあったがすぐに辞めてしまった」との話のあと、「私はね、息子が死んだと聞いて、ホッとしたんですよ」とおっしゃいました。

 私は、16歳の時に父親が自死で亡くなっていますが、生前持病のために家族に負担がかかっていました。私はその男性に対して、「私は父親が自死した時に、雲が切れて青空が見えたような気持ちになりました。ああこれで大学に行けるだろう、結婚もできるかもしれないと思いました」と答えました。

 これを聞いてその方はわあっと泣き出し「おかしいな、泣いたことなどなかったのに」とおっしゃっていました。

 自死された方に生前必死に対応されてきたご家族が、自死によって解放された感じを覚えることは、決しておかしなことではないと思います。たとえ大事な家族であっても、生前必死に対応しなければならなかったなら、負担に思うのは自然です。だから、解放されたと思うのも、自然な感情だと思います。

 もし、ご家族が自死されて、あまり悲しくない自分を責めている方がいらっしゃるならば、そんな気持ちになるのは自分だけではないという事を知ってほしいと思います。そして、困っていることがあるならば、思い悩まずに当弁護団に相談に来ていただいて、解決の力にならせてほしいと思っています。