1 労災の認定基準では原則として発病前おおむね6か月の心理的負荷が評価対象になること
職場でのパワハラや長時間労働等が原因でうつ病や適応障害等の精神障害を発病し自死された方のご遺族が労災を請求する場合、労働基準監督署は、厚生労働省が策定した心理的負荷による精神障害の認定基準(以下「認定基準」といいます。)に基づいて、労災か否かを判断します。
認定基準では、原則として、うつ病や適応障害等の対象疾病の発病前おおむね6か月の間の、パワハラや長時間労働等の仕事による強い心理的負荷が評価対象になります(※1)。
発病前おおむね6か月の間ですので、”発病後”や“おおむね6か月より前”にパワハラや長時間労働等があっても、それらは原則として労災か否かを判断する際の評価対象になりません。
ですので、労災では、故人がいつ精神障害を発病したのかが実務上問題になります。
2 発病時期の特定は容易?
ですが、故人が精神科や心療内科等に通院していた場合にはいつ発病したと考えられるかを主治医に聞くこともできますが、特に故人に通院歴がない場合、発病時期の特定は、必ずしも容易ではないと思います(※2)。
例えば、皆様やその大切な方は、職場、学校や家庭等でひどく落ち込む出来事があって、憂うつになり、気分が暗くなったり、やる気が出なかったり、食欲がなかったり、イライラしたことはないでしょうか?
労災の対象疾病の一つであるうつ病の症状として憂うつになり、気分が暗くなったりすること等もありますが、健康な人が日常生活においてそのような経験をすることもあります。
うつ病は、誰しもが経験し得る正常心理としての憂うつが極端化した病気と表現されることがあります(※3)。うつ病になると、健康な人の気分からは、量的にも、質的にも違う状態になり、人間関係や社会活動等に様々な障害を引き起こすといわれています(※4)。
量的にも質的にも違いがあるといわれていますが、症状の軽いものは、朝、いつものように新聞やテレビを見る気にならないといったことで始まるともいわれています(※5)。いつものように新聞やテレビを見る気にならないというようなことは、健康な人も経験し得ることだと思います。
動作緩慢、話が途切れがちになる等といった、うつ病と分かりやすい状態もありますが(※6)、いつ病気になったのかの判断が難しい場合はあります。
このように、発病時期の特定は、必ずしも容易ではないと思います。
3 出来る限り発病時期を検討したいこと
発病時期の特定は必ずしも容易ではなく、認定基準にも、特定が困難な場合のルールも定められています。
それでも、出来る限り、発病時期を検討したいです。
というのも、証拠を集め、発病時期を十分に検討しないと、労災認定の手続や裁判において、故人に強い心理的負荷を与えた出来事が評価対象にならない発病時期を認定されてしまうおそれがあります。
例えば、平成25年6月25日神戸地方裁判所判決は、平成14年4月に異動し、同年5月28日に自死した故人のご遺族が公務災害の認定を求めた事案です。
発病時期について、ご遺族は、平成14年5月のゴールデンウィーク明けであると主張していました。それに対して、被告である地方公務員災害補償基金は、平成14年4月20日頃であると主張していました。被告の主張する時期が発病時期だとすると、その後の仕事での心理的負荷が原則として評価対象になりません。
裁判所は、以下のとおり、故人のご様子から、発病時期を丁寧に検討しました。
すなわち、裁判所は、故人が同年4月中旬頃から徐々に眠れなくなったこと等について、異動により労働時間が増大したことや、乳児である長男との同居による生活リズムの変化によって従前より生活に余裕がなくなり、睡眠時間が不規則ないし不十分になったことによる可能性が高く、うつ病の症状とは認められないとしました。
また、同年4月下旬から5月上旬に体重の減少や、これまでよく見ていたテレビ番組を見なくなったこと等については、うつ病エピソードの典型症状の一つである興味と喜びの喪失が認められるが、他の典型症状が認められないことから、この時点でのうつ病の発病も認定が困難であるとしています。 そして、同年5月中旬になると、仕事が終わらないこと等に対する不安や仕事の勉強と段取りを組まなければならないことへの精神的重圧を感じていることをうかがわせる言動が見られたことや、食事以外はほとんど横になっており、よくため息をつき、会話をしていてもぼんやりとする等、明らかな活動性の低下が見られ、休日には、長男が泣き出しているのに、横になって寝ているのみであったこと等から、同月19日頃にうつ病を発病したものとして公務起因性を検討するのが相当であると判断しています(※7)。
ですが、ご遺族やその代理人が発病時期の検討や主張を十分に行わなければ、裁判所が以上のように判断せずに、被告の主張のとおり判断された可能性は、否定できないと思います。
4 さいごに
発病時期が正しく理解されないことで、故人に大きな心理的負荷を与えたと考えられる出来事が評価対象にならず、故人の苦しみが十分に理解されないことは、あってはならないと思います。
当弁護団は、故人が受けた強い心理的負荷を与える出来事はもちろん、発病の有無や時期について、事実を大事にして、証拠収集からご協力しています(※8)。当弁護団にご相談いただければ、ご遺族や故人の想いが伝わるよう、尽力いたします。
よろしければ、ご相談ください。
※1 労災の要件や手続等については、当弁護団の解説をご覧ください。
※2 通院歴がない場合の発病時期の立証については、西川翔大弁護士「通院歴がない場合の発病の立証」をご覧ください。
※3 鹿島晴雄他編「改訂第2版よくわかるうつ病のすべて‐早期発見から治療まで‐」3頁
※4 松下正明編「臨床精神医学講座第4巻気分障害」199頁
※5 上島国利他編「気分障害」38頁
※6 神庭重信他編「「うつ」の構造」48頁
※7 控訴審判決である平成26年3月11日大阪高等裁判所判決も、発病時期を5月19日頃としています。
※8 晴柀雄太弁護士「事実に始まり、事実に終わる」、吉留慧弁護士「故人の足跡を探す」もご覧ください。