精神障害の労災における発病時期について

1 労災の認定基準では原則として発病前おおむね6か月の心理的負荷が評価対象になること

 職場でのパワハラや長時間労働等が原因でうつ病や適応障害等の精神障害を発病し自死された方のご遺族が労災を請求する場合、労働基準監督署は、厚生労働省が策定した心理的負荷による精神障害の認定基準(以下「認定基準」といいます。)に基づいて、労災か否かを判断します。

 認定基準では、原則として、うつ病や適応障害等の対象疾病の発病前おおむね6か月の間の、パワハラや長時間労働等の仕事による強い心理的負荷が評価対象になります(※1)。

 発病前おおむね6か月の間ですので、”発病後”や“おおむね6か月より前”にパワハラや長時間労働等があっても、それらは原則として労災か否かを判断する際の評価対象になりません。

  ですので、労災では、故人がいつ精神障害を発病したのかが実務上問題になります。

2 発病時期の特定は容易?

 ですが、故人が精神科や心療内科等に通院していた場合にはいつ発病したと考えられるかを主治医に聞くこともできますが、特に故人に通院歴がない場合、発病時期の特定は、必ずしも容易ではないと思います(※2)。

 例えば、皆様やその大切な方は、職場、学校や家庭等でひどく落ち込む出来事があって、憂うつになり、気分が暗くなったり、やる気が出なかったり、食欲がなかったり、イライラしたことはないでしょうか?

 労災の対象疾病の一つであるうつ病の症状として憂うつになり、気分が暗くなったりすること等もありますが、健康な人が日常生活においてそのような経験をすることもあります。

 うつ病は、誰しもが経験し得る正常心理としての憂うつが極端化した病気と表現されることがあります(※3)。うつ病になると、健康な人の気分からは、量的にも、質的にも違う状態になり、人間関係や社会活動等に様々な障害を引き起こすといわれています(※4)。

 量的にも質的にも違いがあるといわれていますが、症状の軽いものは、朝、いつものように新聞やテレビを見る気にならないといったことで始まるともいわれています(※5)。いつものように新聞やテレビを見る気にならないというようなことは、健康な人も経験し得ることだと思います。

 動作緩慢、話が途切れがちになる等といった、うつ病と分かりやすい状態もありますが(※6)、いつ病気になったのかの判断が難しい場合はあります。

 このように、発病時期の特定は、必ずしも容易ではないと思います。

3 出来る限り発病時期を検討したいこと

 発病時期の特定は必ずしも容易ではなく、認定基準にも、特定が困難な場合のルールも定められています。

 それでも、出来る限り、発病時期を検討したいです。

 というのも、証拠を集め、発病時期を十分に検討しないと、労災認定の手続や裁判において、故人に強い心理的負荷を与えた出来事が評価対象にならない発病時期を認定されてしまうおそれがあります。

 例えば、平成25年6月25日神戸地方裁判所判決は、平成14年4月に異動し、同年5月28日に自死した故人のご遺族が公務災害の認定を求めた事案です。

 発病時期について、ご遺族は、平成14年5月のゴールデンウィーク明けであると主張していました。それに対して、被告である地方公務員災害補償基金は、平成14年4月20日頃であると主張していました。被告の主張する時期が発病時期だとすると、その後の仕事での心理的負荷が原則として評価対象になりません。

 裁判所は、以下のとおり、故人のご様子から、発病時期を丁寧に検討しました。

 すなわち、裁判所は、故人が同年4月中旬頃から徐々に眠れなくなったこと等について、異動により労働時間が増大したことや、乳児である長男との同居による生活リズムの変化によって従前より生活に余裕がなくなり、睡眠時間が不規則ないし不十分になったことによる可能性が高く、うつ病の症状とは認められないとしました。

 また、同年4月下旬から5月上旬に体重の減少や、これまでよく見ていたテレビ番組を見なくなったこと等については、うつ病エピソードの典型症状の一つである興味と喜びの喪失が認められるが、他の典型症状が認められないことから、この時点でのうつ病の発病も認定が困難であるとしています。 そして、同年5月中旬になると、仕事が終わらないこと等に対する不安や仕事の勉強と段取りを組まなければならないことへの精神的重圧を感じていることをうかがわせる言動が見られたことや、食事以外はほとんど横になっており、よくため息をつき、会話をしていてもぼんやりとする等、明らかな活動性の低下が見られ、休日には、長男が泣き出しているのに、横になって寝ているのみであったこと等から、同月19日頃にうつ病を発病したものとして公務起因性を検討するのが相当であると判断しています(※7)。

 ですが、ご遺族やその代理人が発病時期の検討や主張を十分に行わなければ、裁判所が以上のように判断せずに、被告の主張のとおり判断された可能性は、否定できないと思います。

4 さいごに

 発病時期が正しく理解されないことで、故人に大きな心理的負荷を与えたと考えられる出来事が評価対象にならず、故人の苦しみが十分に理解されないことは、あってはならないと思います。

 当弁護団は、故人が受けた強い心理的負荷を与える出来事はもちろん、発病の有無や時期について、事実を大事にして、証拠収集からご協力しています(※8)。当弁護団にご相談いただければ、ご遺族や故人の想いが伝わるよう、尽力いたします。

 よろしければ、ご相談ください。

※1 労災の要件や手続等については、当弁護団の解説をご覧ください。

※2 通院歴がない場合の発病時期の立証については、西川翔大弁護士「通院歴がない場合の発病の立証」をご覧ください。

※3 鹿島晴雄他編「改訂第2版よくわかるうつ病のすべて‐早期発見から治療まで‐」3頁

※4 松下正明編「臨床精神医学講座第4巻気分障害」199頁

※5 上島国利他編「気分障害」38頁

※6 神庭重信他編「「うつ」の構造」48頁

※7 控訴審判決である平成26年3月11日大阪高等裁判所判決も、発病時期を5月19日頃としています。

※8 晴柀雄太弁護士「事実に始まり、事実に終わる」吉留慧弁護士「故人の足跡を探す」もご覧ください。

高齢者の自死の理由を知りたい

 遠方に住んでいる高齢の親が亡くなった、なぜ亡くなったのか自死の理由を知りたい、というご相談を受けることがあります。

 高齢の方は、すでにご退職をされていて、学校や会社といった組織に属していないことがほとんどのため、自死の理由を特定するのはなかなか難しい場合も多いです。しかし、ご遺族としては、病院のカルテを取得するほか、故人が要介護認定や要支援認定を受けていた場合には、介護保険の認定情報の開示を受けるという選択肢もあります。これは、要介護の認定に際して作成された資料で、介護保険の認定調査票、主治医意見書、審査会議事録、介護認定審査会会議録などを取得することができます。

 資料作成の目的は、要介護の認定のためであり、自死の理由が必ず判明するとはいえませんが、身体機能や精神・行動障害の有無などが記載されており、生前の様子を知る手掛かりになります。

 情報開示の申請は、弁護士に依頼せずとも、ご遺族にて手続きができます。具体的な開示方法は、故人が住んでいた自治体のホームページを参照いただくか、自治体に直接お問い合わせいただければと思います。

啓発授業

 先日、大阪府内の高校において、過労自殺(自死)に関する啓発授業の講師を担当させていただきました。

 授業では、私の方から過労自殺とは何かということや、過労自殺の発生件数・労災認定件数などの実態、過労死や働き方に関連する法律についての解説をさせていただき、遺族の方からは、実際にご家族を過労自殺によって失った経験を語っていただき、生徒に対するメッセージをお伝えいただきました。

 授業開始当初は、仕事や過労自殺について身近な問題として捉えることが難しかったからか、その実態や法律に関する講義については、関心が薄いように感じることもありましたが、遺族の方のお話があってからは、明らかに生徒の顔が変わりました。

 特に、ご家族が自殺するに至ったいきさつや、その後のご家族の心境のお話をお話されている際には涙を流す生徒もいるなど、過労自殺が当事者だけでなく家族にもどのような影響を与えるか、ということを実感してもらえたのではないかと感じています。生徒の一人からは、いのちより大事な仕事などないこと、自分だけでなく周りの友達を守るためにも働き方に関するルールを学んでいきたいという感想をもらえました。

 過労自殺をなくすためには、過労自殺を防止するための法整備や、企業・会社への取り組みだけでなく、これから社会に出ていく学生一人ひとりが、過労自殺・働き方についての正しい知識を持ち、自分や周りの方々を守ることができるようにしていくことが必要不可欠であり、今回の啓発授業はその一助になるのではないかと思いました。

 今後も、このような活動を通して、過労自殺をなくすために微力を尽くしていきたいと思っています。

いじめ自死等を疑うご遺族は「第三者委員会の詳細調査」を求めて下さい

 児童・生徒が、自死した場合又は自死したと疑われる場合、自死に関する情報を整理するため、速やかに基本調査が実施されます。

 その後、詳細調査に移行します。詳細調査は、弁護士や心理の専門家など外部専門家を加えた調査組織(いわゆる「第三者委員会」)によって実施されます。

 詳細調査へ移行するか否かは、学校の設置者が判断をします。

 「子供の自殺が起きたときの背景調査の指針」は、以下の場合、詳細調査に移行させなければならないとしています。

ア)学校生活に関係する要素(いじめ,体罰,学業,友人等)が背景に疑われる場合
イ)遺族の要望がある場合
ウ)その他必要な場合

自死遺族が直面する法律問題-子どもの自死(自殺)-参照

 しかし、これまで当弁護団でたくさんのご相談をお伺いしてきた感触としては、学校側は、詳細調査に移行させることに消極的で、「基本調査の結果からいじめは疑われなかった」等と不合理な理由を付けて、詳細調査に移行させずに生徒・児童の不可解な死をうやむやにしてしまおうとすることが多いようです。

 また、ご遺族に「第三者委員会による詳細調査を求めますか?」と尋ねてくれることもしないようです。

 ですから、是非とも、ご遺族は、「第三者委員会による詳細調査をしてほしい」と学校側に要望してください。そうすれば、上記イ)に該当するため学校側も詳細調査を断れないはずです。

 第三者委員会の詳細調査によって、新たな事実が発覚することもありますから、詳細調査は有益ですし、いじめ自死等の再発防止に資するものです。

 よって、本来、学校側は、第三者委員会の詳細調査に消極的になるべきではないはずです。

世界の自死遺族団体について

こんにちは、弁護士の細川潔です。

International Association for Suicide Prevention (IASP)という団体のメーリングリストのメンバーになっています。日本語に訳すと国際自殺予防協会。

全文英語なので正確に訳せているか微妙なのですが、HPによると、IASPは、①自死のない思いやりのある世界をビジョンとし、②自死や自死行動を予防し、その影響を軽減し、学者、メンタルヘルスの専門家、危機管理労働者、ボランティア、および生きた経験のためのフォーラムを提供することを使命とし、③(慈悲)(ダイバーシティ&インクルーシビティ)(承認)(コラボレーション)(予防とサポート)(透明性)(原則と人権)という6つの主要な価値観を中核とし、これをグローバルメンバーシップに反映させている団体であるとのことです。

基本的には自死予防に関する団体なのですが、IASPにはスペシャル・インタレスト・グループというものがあり(いわゆる部会?)、この中に「自死の死別と死後」というグループあます。このグループは、その目的を「自死曝露と死別・死後サービスの分野での研究と実践における協力と証拠を促進すること」としています。

興味深いのは、このグループのページで世界のNational Suicide Survivor Organisations(翻訳機能を使うと「全国自死生存者組織」との訳でしたが、自死遺族や自死未遂者の団体・組織ということでよいかと)が紹介されています。

オーストラリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、ドイツ、香港、イタリア、ケニア、ノルウェー、英国、シンガポール、スウェーデン、米国の全国自死生存者組織のリンクが張られています(not foundになってしまっているところもありますが・・・)。世界中に「全国自死生存者組織」があることを知りました。

興味深かったので、リンク先に飛んでコンタクトをとろうと試みたのですが、HPが当該国の言葉で書かれているので(当たり前か・・・・)、翻訳機能を使ってもなかなかコンタクトすることが難しく・・・

せめて英語を勉強し直して、再びコンタクトをとろうかと模索している今日この頃です。 あと、全国自死生存者組織、日本のものがないのが少し気になりましたね・・・

いじめの重大事態の調査に関するガイドラインが改訂されました

1 ガイドライン改訂の経緯

 子どもの自死の場合、その背景にはいじめがあることが多々あると思います。いじめの調査については、平成29年3月にいじめの重大事態の調査に関するガイドライン(以下「ガイドライン」という)が策定されていました。

 しかし、その後もいじめ重大事態の発生件数は増加傾向にあり、いじめ防止対策推進法、いじめ防止等のための基本的な方針及びガイドライン等に沿った対応ができておらず、児童生徒に深刻な被害を与える事態が発生している状況にありました。

 そういった状況に加え、いじめ防止対策推進法の施行から10年が経過し、調査の実施に係る様々な課題も明らかになっていることから、令和6年8月にガイドラインの改訂が行われました。

2 改訂の概要

改訂の概要は以下のとおりです。

(1)重大事態の発生を防ぐための未然防止・平時からの備え

 全ての学校に設置されている学校いじめ対策組織が校内のいじめ対応にあたって、平時から実行的な役割を果たし、重大事態が発生した際も、学校と設置者が連携して、対応をとるよう必要な取組を実施すること等を記載。

(2)学校等のいじめにおける基本的姿勢

 重大事態調査の目的は、民事・刑事・行政上の責任追及やその他の争訟への対応を直接の目的とするものではなく、当該重大事態への対処及び再発防止策を講ずることであることから、重大事態調査を実施する際は、詳細な事実関係の確認、実効性のある再発防止策の提言等の視点が重要であることを明記。また、犯罪行為として取り扱われるべきいじめ等であることが明らかであり、学校だけでは対応しきれない場合は直ちに警察への援助を求め、連携して対応することが必要であること等を明記。

(3)児童生徒・保護者からの申立てがあった際の学校の対応について

 児童生徒・保護者からの申立てがあった時は、重大事態が発生したものとして、報告・調査等にあたる。なお、学校がいじめの事実等を確認できていない場合は、早期支援を行うため、必要に応じて事実関係の確認を行うことを記載。また、申立てに係るいじめが起こりえない状況であることが明確であるなど、法の要件に照らして、重大事態に当たらないことが明らかである場合を除き、重大事態調査を実施することを記載。

(4)第三者が調査すべきケースを具体化し、第三者と言える者を例示

 自殺事案や被害者と加害者の主張が異なる事案、保護者の不信感が強い事案等、調査組織の中立性・公平性を確保する必要性が高いケースを具体化するとともに、第三者の考え方を整理して詳細に記載。

(5)加害児童生徒を含む、児童生徒等への事前説明の手順、説明事項を詳細に説明

 調査目的や調査の進め方について予め保護者と共通理解を図りながら進めることができるよう、事前説明の手順、説明事項を詳細に記載。

(6)重大事態調査で調査すべき調査項目を明確化

 標準的な調査項目や報告書の記載内容例を示すとともに、調査に当たっての留意事項(聴き取り等の実施方法、児童生徒へのフォロー等)を記載。調査報告書作成に係る共通事項(事実経過や再発防止策等)を明記。

3 今後について

 今回の改訂版ガイドラインは、以前までのガイドラインと比較して、重大事態の判断や申立てを受けた場合の対応などが詳細に記載されるようになりました。

 しかし、現実にいじめを防止するためには、ガイドラインを定めるだけでは不十分で、やはり現場の教員らがガイドライン等を理解し、それに沿った対応をすることが必要です。

 私は、学校の教員に対していじめ対応についての研修を行うことも多いですが、そこでのディスカッション等を見ていると、いじめの定義に沿って事案を把握できていなかったり、法的に求められるいじめの対応を理解できていなかったりする教員の方がまだまだ一定数いることも感じます。

 今回のガイドライン改訂も、それがきちんと周知され、現場の教員全員が理解し、実践できるようにする必要があるため、今後も当弁護団での活動や教員への研修などを通して、教員の方々がいじめ対応についてきちんと理解し、実践できるように、ガイドラインの内容やそれに沿った適切な対応の周知に努めていきたいと思います。

事務所独立1年に思う

 昨年2月5日、約14年在籍していたオアシス法律事務所を独立して個人事務所を設立しました。

 弁護士になって数年は目の前のことに取り組むことで精一杯で、自分が独立する姿なんて全く想像していませんでした。

 弁護士10年目に差し掛かるあたりで、同世代の弁護士が独立する・独立したという話をたびたび耳にしました。そのころから、ぼんやりと、自分が独立する時のことを想像するようになりました。

 そのような時期に、高校の同級生(ただし弁護士ではなく違う業界の友人です。)と会う機会があり、都内で独立して仕事を始めるという話を聞いたのです。その時、自分の中で「独立してみたい」という思いが湧きあがり、そこからは昨年2月の独立まであっという間に過ぎていきました。

 事務員さんを雇用せず1年間過ごしましたが、宛名を手書きしたり、印紙・切手を購入したり、帳簿をつけたりするといったことにもようやく慣れてきました。いかに前の事務所で自分が甘えさせてもらっていたのか、実感しています。

 周囲への感謝の気持ちを忘れずに、もう少し、この仕事を頑張ってみたいと思っています。

 事務所を移転するというお話をすると「弁護団活動はどうするのですか?辞めるのですか?」と聞かれることがありました。弁護士は本来個人事業主ですから、移転しても自分で仕事を選ぶのが原則ですから、移転したからといって辞めることにはなりません。

 特にこの弁護団は、事務所の垣根を越え、個々の弁護士が弁護団の考え方・活動方針に共感して集まった集団で、自分もその一人です。ですから、弁護団での活動は、独立後も引き続き継続していますし、弁護団事件への熱量は独立前と変わらず保ち続けていきたいと思います。

 最後に、告知です。

 この弁護団では、24時間相談会を毎年1回実施しています。

 今年も、3月15日(土)昼12時から翌16日(日)までの24時間、自死遺族の方を対象に無料法律電話&LINE相談会を実施予定です。何かお困りごとがあれば、お気軽にご相談頂ければと思います。

24時間無料法律電話&LINE相談会について詳しくはこちら

労働時間規制の適用除外を拡大する動きについて

1 労働基準法制研究会の労働時間規制に関する検討

 厚生労働省は、テレワークや副業・兼業といった多様な働き方が広がる中、労働基準法等の見直しに向けて、2024年1月から、「労働基準法制研究会」を立ち上げ、現行の労働基準法の課題と対応について議論してきました。

 そして、2025年1月8日に、労働基準法制研究会は、「労働基準法制研究会報告書」(以下「報告書」といいます。)を公表しました。

 報告書では、労働時間規制に関して、企業による労働時間の情報開示や連続勤務の禁止、「つながらない権利」等に言及している点で、労働者の長時間労働を防止し、生命・健康の確保に寄与する部分も一定程度ありますが、具体的な検討はまだこれからです。 

 他方で、①テレワーク時にみなし労働時間制を導入することや、②副業・兼業を割増賃金に関して通算しない取扱いにすることについて、労働基準法による労働時間規制の適用を除外する方向で検討が進んでいる点には注意しなければなりません。

2 テレワークにみなし労働時間制を導入することの問題点

 報告書では、テレワークは一時的な家事や育児への対応等の中抜け時間が存在し、実労働時間の把握が困難であることを理由に、テレワークにみなし労働時間制(実際に働いた時間にかかわらず事前に定めた労働時間働いたとみなす制度)を導入することが提示されています。

 しかし、テレワークは一般的にパソコン等を利用する業務がほとんどであり、パソコンのログなどの客観的な記録により実労働時間を把握することは可能です。

 また、テレワークに関する調査(2020年6月30日 連合)によると、テレワークの場合「通常の勤務よりも長時間労働になることがあった」という回答が51.5%、「深夜の時間帯(午後10時~午前5時)に仕事をすることがあった」という回答が32.4%あり、テレワークの場合に長時間労働になる傾向があることも示されています。

 テレワークにみなし労働時間制を導入することで、ますます長時間労働に歯止めがきかなくなる危険性が高まります。

3 副業・兼業の労働時間を通算しないことの問題点

 また報告書では、副業・兼業に関して、割増賃金の負担や煩雑な手続きによって企業側が副業・兼業の導入に消極的になっていることを指摘し、副業・兼業の割増賃金に関して労働時間を通算しない取扱いに制度改正を進めるべきであると提示されています。

 しかしながら、労働基準法制研究会に先立つアンケート調査で企業が副業・兼業を認めない理由として、「本業での労務提供に支障が生ずる懸念があるから」が79.6%、「情報漏洩の懸念があるから」が25.0%であり、副業・兼業の導入が進まない理由としては割増賃金の負担や労働時間の計算等の煩雑さ等が主たる要因ではありませんでした。

 そもそも、労働基準法38条で異なる職場でも労働時間を通算することとされている趣旨は、複数の職場で働く労働者の長時間労働を防止する点にあります。また、割増賃金も法定労働時間を遵守させ、長時間労働を防止する目的があります。しかし、そのような制度趣旨に反して、副業・兼業の拡大を進めるために労働時間の通算しない取扱いを制度化しようとしており、報告書においても労働時間を通算しない場合の副業・兼業の労働者の健康確保措置について具体的な検討は記載されていません。

 このように、副業・兼業の労働者について労働時間を通算しない取扱いが法制化されてしまうと、副業・兼業の労働者の長時間労働による被害が広がることが予想されます。

4 おわりに

 経団連は、「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」(令和6年1月16日付)において、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度が複雑な手続きや厳格な要件があるために導入されていない実態があるため、労使のコミュニケーションをもとに労働基準法の労働時間規制の適用除外(いわゆる「デロゲーション」)の範囲を拡大することを提唱しています。

 このテレワーク時のみなし労働時間規制の導入や副業・兼業の労働時間を通算しない取扱いは、この経団連の提唱する労働時間規制の適用除外(デロゲーション)の範囲拡大に対応する動きとみることができます。

 しかしながら、このような動きは、労働基準法等による労働時間規制によって、労働者の生命及び健康を確保することの重要性を軽視していると言わざるを得ません。

 労働時間規制の適用除外が安易に拡大されないように今後も労働基準法改正の動きを注視していかなければなりません。

SNSの影響と自死

 近年、インターネットやSNSの普及に伴い、SNSの未成年者に対する悪影響やネットいじめ等が深刻な社会問題となっています。その影響で自ら命を絶つ若者も増えており、この問題に対する対策と支援の必要性が高まっています。

1 ネットいじめに関する統計データ

 文部科学省が2024年10月31日に公表した2023年度の調査によれば、全国の小・中・高校などにおけるいじめの認知件数は73万2568件と過去最多を更新し、前年度比で7.4%増加しました。いじめが原因で自殺に至る「重大事態」の認知件数も、過去最多の1,306件となりました。

 特に、ネット上のいじめに関しては、「パソコンや携帯電話等で、ひぼう・中傷や嫌なことをされる」という回答が全体で2万4678件(同758件増)に上り、年々増加しています。また、ネット上という見えづらさから、いじめの解消についても確認しにくい事案が多いことが指摘されています。

2 海外に目を向けると

 昨年末、オーストラリアが世界に先駆ける形で、16歳未満のSNS利用を禁止する法案を可決したことが話題となりました。SNSの過度の使用が心身の健康に与える影響から子どもを保護することが目的で、保護者の同意があっても利用は認められません。国家レベルでSNSの利用に規制をかける初めての事例であり、大手IT企業を対象とした最も厳しい規制の1つといえます。

 その立法背景には、未成年者が、SNSでダイエットに関する情報を収集するようになった結果、摂食障害の末に14歳で自らの命を絶つという事件があったほか、SNSを介して悪質ないじめにあったり、性被害にあったりする事態が相次いだことにあるようです。保護者を中心に規制を求める声が強くなり、オーストラリアの世論調査の結果では、国民のおよそ77%がこの法案に賛成したということです。 

 その他、イギリスでも、ネットいじめを含むオンライン上の有害行為に対処するため、プラットフォームの責任を強化するための法律が成立しており、SNSの悪影響から未成年者を保護しようとする世界的な動きは、非常に大きくなりつつあるといえます。

3 日本の現状と課題

 日本では、プロレスラーの木村花さんの自殺を契機に、オンラインでの中傷を厳しく取り締まるため、刑法における侮辱罪の厳罰化や、プロバイダ責任制限法の法改正などが行われてきました。ただし、日本の法的対策は、特に未成年者に対するSNSの悪影響を重視しこれを防止しようという観点においては不十分と言わざるを得ません。

 このような昨今の世界の状況・法的対策と日本との違いを知ることで、日本においても、社会全体として法的対策の強化やプラットフォームとの連携を進めることで、若い世代を守る実効的な仕組みづくりが急務であること、それと同時に、加害者にも被害者にもならないため、ネットリテラシーに関する教育も非常に重要になってくることを深く感じるに至り、今回の記事とさせていただきました。

相続登記の義務化

 令和6年4月1日から相続登記が義務化されました。不動産(土地・建物)について、自分のために相続が始まったことを知り、かつその所有権を取得したことを知った日から3年以内に相続登記をしなければならない、というものです。3年以内にしなかった場合、10万円以下の過料が科せられる可能性があります。

 この法律改正は、過去の相続登記未了不動産にも適用されることになります。過料が科されることになるのは2027年からになります。

 このような義務化がなされた背景は、所有者が亡くなったのに相続登記がされないことによって、登記簿を見ても所有者が分からない土地が全国で増え、周りの環境悪化や民間取引・公共事業への支障が社会問題化したためです。

 ご家族が亡くなったけれども手続きが進まない、という相談を受けることがあります。親族間で遺産についての話し合いがつかないという場合や、他の相続人と疎遠で連絡の取り方が分からない、等のことがあります。

 遺産分割協議が整わず、相続人のうち誰が相続するか決まらない場合は「相続人申告登記」という新制度ができました。こちらを使うとペナルティを回避することができます。

 不動産は相続登記をしておかないと売却や担保設定はできません。納税や管理する義務は相続人全員に課せられ続けます。お困りでしたら、ご相談をいただけたらと思います。