手元に証拠がないときはどうすればいい?

 故人が早朝に自宅を出て仕事へ行き、深夜に帰ってくるという生活を長期間続けていたような場合、長時間労働が疑われます。しかし、自宅には仕事関係のパソコンや資料がなく、故人のスマートフォンのロックを解除できないようなときは、長時間労働を裏付けられるような客観的な証拠が何もない、ということになります。

 また、パワーハラスメントが疑われるような場合で、パワーハラスメントを裏付ける会社内部でのメール等のやり取りや、死後行われた従業員らに対する聴き取りの内容も、ご遺族自身が入手することは難しいといえます。

 このようなときにはどうすれば良いのでしょうか。

 このような場合に活用できる方法の1つとして、証拠保全があります。証拠保全とは、あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情があるときに、その証拠を確保する手続きです(民事訴訟法第234条)。先の例で言えば、勤務先が保管している業務状況に関する記録を証拠保全手続きにより確保することが考えられます。

 証拠保全手続きの概要についてご説明します。

 民事訴訟法の立て付けでは、基本的に証拠調べは訴訟の手続きの中で行うこととされています。しかし、訴訟を提起してから証拠調べに入るまでには一定の期間を要するため、証拠となる資料が廃棄されたり改ざんされたりしてしまうリスクがあります。このようなリスクが認められるときは、訴訟手続き外で事前に証拠調べを行い、それを将来の訴訟で活用することができるようになっているのです。

 では、将来的に訴訟を提起するかどうか分からない状況では、証拠保全手続きを行うことはできないのでしょうか。そうではありません。証拠保全手続きで確保できた証拠を基に労災申請のみを行い、訴訟まではしない、というケースもよく見られます。

 証拠保全手続きで最も重要なのは、「あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情」があると言えることです。この事情が認められなければ、証拠保全手続きは実施されません。

 「証拠を使用することが困難となる事情」としては、抽象的に改ざんや廃棄のおそれを指摘するだけでは足りず、具体的な事情を摘示する必要があります。

 もっとも、その事情が存在することについての証明までは必要とされず、疎明で足りるとされています。言い換えますと、この事情が一応存在するようだ、という推測ができれば良いとされています。

 証拠保全の手続きは、手元に証拠となるような資料が何もないときに活用できる有効な手段です。手元に証拠がなにもないというときも諦めずにまずは当弁護団までご相談ください。

安全配慮義務とはなにか(職場の健康診断との関係を中心に)

 過労が原因で自死に至った場合などに、勤務先が安全配慮義務を怠っていたといえるかが問題となることがあります。

 では、そもそも安全配慮義務とはどういうものなのでしょうか。

 まず、安全配慮義務の法令上の定めとしては労働契約法5条があり、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」とされています。

 また、最高裁判所の判例においては、「使用者は…労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解するのが相当である」と判示されています(昭和59年4月10日判決)。

 これらを見ますと、安全配慮義務は、労働者の身体的な安全が保護対象の中心であるように考えられます。実際に、上記の最高裁判例では、職場で宿直業務中の従業員が殺害された事案であり、まさに労働者の身体的な安全が問題とされていました。

 その後の裁判例などの積み重ねもあり、現在では、安全配慮義務が労働者の精神的な安全にも及ぶことは当たり前のこととなっています。

 さて、労働安全衛生法55条において、事業者は労働者に対し、医師による健康診断を行わなければならないとされています(同条1項)。また、労働者はこの健康診断を受けなければならない、とされています(同条5項)。

 では、労働者が自らの意思で健康診断を受けなかった場合、事業者は安全配慮義務を免れるのでしょうか。

 この点についての最高裁判所の判断は出されておらず、議論があるところです。労働者の自己責任を重視し、自ら健康診断を受けなかった場合は、(少なくともその範囲で)事業者は安全配慮義務を免れるという見解もあります。一方、労働者の安全に配慮する一次的な責任は使用者が負うとして、事業者の安全配慮義務の免責を制限的に考える見解もあります。

 私見としては、単に労働者が自らの意思で健康診断を受けなかったとの一事をもって事業者が安全配慮義務を免れることは許されず、健康診断を受けるように使用者が十分に説得するなど労働者の安全確保に尽力するべきだと考えます。