いじめ自死の裁判の難しさそれでも戦う

 学校でのいじめにより自死した児童・生徒の報道は枚挙にいとまがありませんが、現在の裁判は、いじめ被害者に対して厳しい判断枠組みを採用しており、「教員が当該児童・生徒が自死することを具体的に予見することが可能であった」という事情を要求する裁判例がほとんどです。

 しかし、そうではない裁判例もあります。高校3年生の生徒がいじめ自死した事案で、福岡地方裁判所令和3年1月22日判決(平成28年(ワ)第3250号)は、「特に、遅くともいじめ防止対策推進法が成立・公布された平成25年6月28日頃において、学校内における生徒間のいじめによって、被害生徒が自殺するに至る事案が存在することは、各種報道等によって世間一般に相当程度周知されていたといえるところ、現に学校教育に携わる専門家である被告及び本高校教員らとしては、同法成立以前においても、生徒間におけるいじめが自殺という重大な結果に結びつき得ることを、当然に認識していたはずである。そして、被告及び本高校教員らには、生徒の生命・身体を保護するための具体的な義務として、特定の生徒に対するいじめの兆候を発見し、又はいじめの存在を予見し得た時には、教員同士や保護者と連携しながら、関係生徒への事情聴取、観察等を行って事案の全体像を把握した上、いじめの増長を予防すべく、本生徒に対する心理的なケアや加害生徒らに対する指導等の適切な措置を取る義務があるものと解される。なお、このような義務に違反する作為ないし不作為は、在学契約に基づく付随的義務としての安全配慮義務違反として債務不履行を構成するのみならず、生徒の生命、身体に対する侵害として不法行為をも構成するというべきである。」と判示した後、教員らの義務違反を認定した上で、「被告は、本高校教員らが、本生徒に対するいじめと評価するに足りる具体的な事実関係を把握しておらず、その契機もなかったから、いじめないし本件自死の予見可能性やそれを前提とする義務違反は認め得ない旨主張するが、甲教諭及び乙教諭において、いじめの端緒を認識していたと認められることは前記とおりであるから、被告の主張は採用できない。」と判示しています。

 この福岡地裁の判断は、従来の自死の具体的予見可能性が必要とする裁判例とは見解を異にする判断枠組みです。いじめを認識したのであれば、対応すべき義務があり、自死の具体的な予見可能性まで要求しないという内容です。 このように、心ある裁判官が従来からの被害児童・生徒への厳しすぎる判断枠組みに異を唱えて画期的な判決理由を記載してくれることがありますから、我々は諦めずに何度も戦いを挑んで、現状の裁判所のおかしな考えを改めてもらいたいと思っています。

>>遺族が直面する法律問題 -学校でのいじめ-