2 訴訟の概要
静岡県警事件最高裁判決は、静岡県警に警部補として勤務していたAさんが過労自殺(自死)した事案について、Aさんの妻子が静岡県に対して損害賠償を請求した訴訟(以下「妻子訴訟」といいます。)と、Aさんのご両親が静岡県に対して損害賠償を請求した訴訟(以下「父母訴訟」といいます。)の2つの訴訟があります。
広島地裁福山支部は、令和4年7月13日、妻子訴訟と父母訴訟の両方について静岡県の責任を認め、ご遺族勝訴の判決を下しました。
これに対して、静岡県は広島高裁に控訴しました。すると、広島高裁は、令和5年2月15日、父母訴訟について静岡県の責任を否定し、ご両親敗訴の判決を言い渡しました。しかし、広島高裁は、同月17日、妻子訴訟について静岡県の責任を認め、一審である広島地裁福山支部と同じように妻子勝訴の判決を下しました。
このように、警察官のAさんが過労自殺(自死)したという客観的な事実は同じなのに、広島高裁は全く逆の2つの判決を下しました。
そこで、静岡県警事件最高裁判決は、妻子訴訟については広島高裁が正しいと判断し、父母訴訟については広島高裁が間違っていると判断したのです。その結果、妻子訴訟も父母訴訟もご遺族側の勝訴となりました。
3 電通事件最高裁判決との関係
静岡県警事件最高裁判決を正確に理解するためには、最高裁が平成12年3月24日に下した電通事件最高裁判決(※3)とのつながりを踏まえる必要があります。
電通事件最高裁判決の最も大切なポイントは、「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。」と述べたことです。要するに、最高裁は、「働き過ぎて、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、体や心を壊す危険性があることはもう常識です!」とはじめて述べたのです。
そして、電通事件最高裁判決は、働き過ぎて「疲労や心理的負荷等が過度に蓄積」した結果、うつ病になったり、自殺(自死)に追い込まれたりした時点で対策をとっても遅いので、会社などの使用者が対策をとって回避すべき状態は、うつ病や自殺(自死)といった「結果を生む原因となる危険な状態の発生」であり、予見可能性の対象もこのような「危険な状態の発生」であるという考え方に立っています(※4)。
もっとも、実際の裁判の実務では、電通事件最高裁判決が出た後も、うつ病や自殺(自死)といった「結果を生む原因となる危険な状態」とは具体的にどんな状態なのか、そのような状態となった時期はいつなのか、会社が行うべき対策をご遺族側と会社側のどちらが特定するのかといった論点が残りました。
当弁護団が担当した事件でも、裁判官から「職場がどの時期にどんな対策をとればいいのか具体的に特定して下さい。」と指示されたことは何度もあります。もっとも、ご遺族からすると、亡くなったご家族の職場での働きぶりを実際に見ていた訳ではありませんし、職場の人事システムも知らないのですから、過労自殺(自死)を避けるため職場が行うべき対策の時期や具体的内容を特定することは不可能に近いといえます。そして、この特定に失敗して敗訴したことも何度か実際に経験しました。
このような電通事件最高裁判決後に残されたいくつかの論点について、静岡県警事件最高裁判決は一定の判断を示しました。
4 静岡県警事件最高裁判決の重要ポイント
(1) 第1のポイントは、まず、うつ病や自殺(自死)といった結果が生じる様な危険な状態とはどのレベルの状態なのかについて論じた点にあります。
最高裁は、Aさんの業務がAさんに「相当程度の疲労や心理的負荷等を蓄積させるもの」であり、このような業務が「精神疾患の発症をもたらし得る過重な業務」と判断しました。つまり、最高裁は、「過度」に疲労や心理的負荷等が蓄積した状態ではなく、その前段階である「相当程度」に疲労や心理的負荷等が蓄積した状態になれば、うつ病や自殺(自死)といった結果が生じる様な危険な状態が発生したと評価しているのだと考えられます。
その結果、ご遺族側の立証のレベルは、「過度」ではなく、「相当程度」に疲労や心理的負荷等が蓄積した状態まで立証すれば足りるということになりました。過労自殺(自死)の事件の代理人を長年務めてきた弁護士としては、かなり立証のハードルが下がったと感じています。
(2) 第2のポイントは、Aさんの上司は、Aさんから勤務時間などの報告を受けていたことから、「A警部補の従事する業務の具体的な状況を把握し得なかったと解すべき事情はうかがわれない。したがって、A警部補の上司らは、A警部補が客観的にみて精神疾患の発症をもたらし得るような過重な業務に従事していることを認識することができた」と判断した点にあります。
過労自殺(自死)の損害賠償訴訟では、会社から「そんなに働いているとは知らなかった。」という主張が必ずと言って良いほど行われます。
しかし、最高裁は、少なくとも労働者が「精神疾患の発症をもたらし得る過重な業務」に従事していた場合は、上司が「業務の具体的な状況を把握し得なかったと解すべき事情」を具体的に立証しない限り、客観的に過重な労働に従事していたことを知り得たと認定すべきという考えに立っていると思います。
このように、上司がどのような事情を認識または認識し得れば会社が責任を負うかという点について、「そんなに働いているとは知らなかった。」という反論は簡単には通りませんよ、と示した点は実務上大きな意味があると思います。
(3) 第3のポイントは、少なくとも労働者が「精神疾患の発症をもたらし得る過重な業務」に従事していた場合であれば、遺族側に、うつ病や自殺(自死)といった「結果を生む原因となる危険な状態」が発生した時期や、会社が行うべき具体的な対策の内容などの特定を要求することなく、「A警部補の上司らは、A警部補の業務を適切に調整するなど、その負担を軽減するための措置を講じなければ、A警部補がその心身の健康を損なう事態となり、精神疾患を発症して自殺するに至る可能性があることを認識することができたというべきである。そうであるにもかかわらず、A警部補の上司らは、A警部補の負担を軽減するための具体的な措置を講じていない。」と判断して、静岡県の過失を認めた点にあります。
特に国家公務員や地方公務員の事件では、予算に限りがありますし、簡単に人を増やすことができません。そのため、国や自治体から「予算ありませんし、人も簡単に採用できないので、業務を軽減したり、人を補充したりすることはできません。ご遺族が主張する対策を行うことは不可能です。」といった主張が行われ、実際に判決でもそのような主張が認められることがありました。しかし、最高裁は、そのような主張を明確に否定しました。そして、民間の場合は、より柔軟に業務量の調整や人員の増員が可能といえますので、当然にそのような主張は認められないでしょう。
(4) 第4のポイントは、これはかなり専門的な議論なのですが、長時間労働によって過労自殺(自死)が生じた場合、どのような状態を労働時間と評価すべきかという論点について判断を示した点にあります。
過労自殺(自死)が生じた場合、労働時間の考え方は単純化して大きく分けると、①使用者から仕事をしなさいと命令されたり、仕事をすることを義務づけられたりした時間を労働時間とする考え方と、②心理的負荷によって過労自殺(自死)が生じたのだから、業務によって心理的負荷を受けた時間を労働時間とする考え方の2つの考え方があります。そして、広島高裁の妻子訴訟は②の考え方で、父母訴訟は①の考え方でした。
①と②の考え方で大きく判断が分かれる場面は、持ち帰り残業や出張の移動が就業時間の前後に行われた場合です。ここも様々な議論がありますが、単純化すると、①の考え方では、持ち帰り残業は労働者が勝手に持ち帰っているので労働時間ではありませんし、就業時間の前後に行われた出張の移動時間は通常の通勤と同じなので労働時間と評価しません。一方、②の考え方では、持ち帰り残業も就業時間の前後に行われた出張の移動も業務によって心理的負荷を受けるので労働時間として評価します。
このような対立があったのですが、妻子訴訟の最高裁は、「業務起因性判断の前提となる労働時間(勤務時間)とは、上記労働基準法上の労働時間に限られるものではなく、労働者が、業務のために必要な活動に従事していることが客観的に明らかであるといえるときは、使用者による明示的な時間外勤務命令に基づいているか否かや、使用者の指揮命令下に置かれているか否かといった点を問わず、これを業務起因性判断の前提となる労働時間(勤務時間)として考慮することができる場合があると解すべきである。」とした広島高裁の認定を、「原審の適法に確定した事実関係等」と判断し、海外研修の準備や事前会合の移動時間も労働時間として評価しました。
このように、専門家の間では争いはあるものの、最高裁は少なくとも②の立場を否定するものではないことを明示した点に大きな意義があると考えます。
(5) 第5のポイントは、最高裁が父母訴訟の広島高裁の形式的な事実認定を否定した点にあります。個人的な見解ですが、残念ながら、裁判官は能力的にも知性的にも感情的にも急速に劣化していると感じます。もちろん、優秀な裁判官も数多くいますが、頭でっかちで、社会を知らず、自分の地位を守ることだけに関心があるような、ヒラメ裁判官が大量に増殖しているのが現実です(もう個人的にはヒラメ裁判官はChatGPTと交代した方がまともな判断が出るのでは無いかと感じるくらいです。)。
過労自殺(自死)事件のヒラメ裁判官の事実認定はワンパターンで単純です。事実をバラバラに分解し、分解したバラバラの事実の心理的負荷は弱いと判断し、弱いバラバラの事実を最後に総合的に判断しても、やっぱり心理的負荷は弱いと判断するのです。
実は広島高裁の父母訴訟は、このようなヒラメ裁判官の事実認定が行われた結果、ご両親が敗訴しました。
しかし、最高裁は、そのような形式的な事実認定を否定し、Aさんの立場にたって事実を認定しました。従来の交番長としての業務に新人の指導業務が加わったこと、労働時間がおよそ2倍以上に増加して1か月当たり100時間を超えたこと、14日の連続勤務を2回行ったことなどを認定した上で、「A警部補が自殺直前の時期に行っていた業務は、A警部補に相当程度の疲労や心理的負荷等を蓄積させるものであったということができる。」と認定したのです。
極めて常識的ですし、一般人の感覚からして素直に受け入れることができる事実認定だと思います。
5 最後に
静岡県警事件最高裁判決が出た後、当弁護団で受任している過労自殺(自死)の損害賠償請求訴訟でも、最高裁判決を踏まえた主張立証を行いました。
その結果、比較的短時間で和解したケースも複数見られます。是非当弁護団にご相談下さい。
※1 https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/869/093869_hanrei.pdf
※2 https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/868/093868_hanrei.pdf
※3 https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/222/052222_hanrei.pdf
※4 八木一洋「電通事件/最高裁判例解説」法曹時報52巻9号・362~363頁