先に「①「遺族支援」が生まれるまで」で述べた自死に対する偏見について、遺族はぼんやりと感じてはいたものの、「これこそまさに偏見である。」という形で可視化することがなかなか難しい、という点が問題でした。
そのような中で、2011年の頃から徐々に社会問題化していったのが賃貸事案でした。
賃貸物件内で賃借人が自死した場合、「気味悪がって次の借り手がつかない」という理由で、賃貸人が遺族に損害賠償請求を行うことが急速に拡大していった時期でした。
裁判所は、「気味悪がって次の借り手がつかない」ことについて「心理的瑕疵」にあたると判断し、遺族に損害賠償を命じる判決を出していました。
他方で、孤独死や病死については、遺族への賠償義務は発生しないとされていました。
遺族に対する損害賠償義務を肯定する裁判所の判断に対しては、様々な視点から批判をすることが可能です。
- WHOの報告によれば、自死した人の97%は何らかの精神障害の診断がつく状態であったとされています。精神障害により死以外の選択肢が見えない状態で亡くなった場合に、遺族に損害賠償責任を負担させるという価値判断は妥当と言えるか。
- 「命を粗末にした。」等、自死者に対する倫理的非難が上記価値判断には含まれているように思われる。しかし、自死が精神障害の影響であるとして「命を粗末にした」という非難は成り立つのか。そもそも自死は自己決定により行われたものと言えるのか。
- そもそも「気味が悪い」とは何なのか。化けて出るというのであれば、孤独死であろうが自死であろうが死因によって差が出るものなのか。これこそ偏見ではないか。
- 過労自殺によってアパート内で自死した事案について、遺族のみに経済的負担が課せられるという結論に問題はないか。自死のリスクは遺族だけではなく過重労働をさせた社会全体が負担すべきものではないか。
このように、賃貸事案は、自死に対する医学的、倫理的、社会科学的な理解が問われる論点を含んでいました。当時は自死者が3万人を超えていた時期でもあり、メディアで取り上げられることも多かったように思います。
何より、裁判所の判断という形で、自殺に対する偏見(少なくとも他の死因とは異なった扱いが当然視されていること。)が可視化されたことが大きかったように思います。遺族が感じている違和感を当事者以外の人に説明することが容易となり、自死に対する偏見がようやく社会的に認知されるようになっていきました。
*賃貸事案への対応については、「自死遺族が直面する法律問題‐賃貸トラブル‐」をご参照ください。