シェアリングエコノミーと労働者性

1 はじめに

 遺族からの相談を受けていると、ときどき、雇用契約とは異なる働き方をしていたケースを目にすることがあります。とくに、最近はWebサイトなどのプラットフォームを通じて、一般の消費者がモノや場所、スキルなどを他の消費者に提供したり共有したりする、シェアリングエコノミーと呼ばれるビジネスモデルが急速に拡大しています。

 このようなビジネスモデルに従事する労働者が、長時間労働等により過労死した場合、プラットフォーム提供者に責任追及を行うことができるかは、今後大きな問題となっていく可能性があります。

2 UberEatsの配達員は労働者?

 業務委託や請負が増加している原因については,現代における就業形態の多様化が挙げられることも多いですが、実際には、人件費削減,生産変動への対応などが動機となり、実質的にはどう見ても雇用であるケースも少なくありません。ILOは,2006年の「雇用関係に関する勧告」(Recommendation concerning the employment rerationship)において,本来は雇用の関係にあるべき者が他の契約形態を押し付けられる状態について「偽装雇用」と評価していましたが、近時のシェアリングエコノミーの出現によって世界的にこのような働き方がかなり普及しつつあるのが現状のように思います。

 シェアリングエコノミーの代表例としては、Uberの事例が挙げられます。Uberとは米国のUber Technologies Inc.が運営するオンライン配車サービスで、携帯のUberのアプリを通じて車の手配を依頼すると、携帯のGPS機能から位置情報が割り出され、付近を走行している提携車を呼び出せるようになっています。専業のタクシーがめったに通らない辺鄙な場所でも提携ドライバーがいれば手軽に交通手段を得ることができ、また、ドライバーにとっても空いた時間に副業として手軽に収入を得ることができることから世界中に一気に広がりました。他方で、これらドライバーは会社との雇用契約を前提としないので、労働者性が否定され、最低賃金や労災保険など、労働者保護を目的として規定された法の適用を受けないのではないかが以前から争点となっていました。

 日本ではUberを起源とするUberEatsが都市部を中心に普及していますが、このような働き方について労基法や労災保険法上の労働者性を肯定するか否か明確な結論が出ていないようです(東京都労働委員会が2022年に労組法上の労働者性を肯定する命令を出したことはありますが、これはあくまで労働組合法上の労働者性に関する判断です。)。他方で、海外では、ドライバーの会社に対する経済的従属性を根拠に、労働者性を肯定する判決が複数出ています。イギリスでは、2021年にUberドライバーの労働者性を肯定し、最低賃金の適用を認める最高裁判決が出ています。アメリカでは、2019年にUberドライバーの労働者性を認め失業保険の受給資格を認めた判決が出されましたが、その後州法レベルでは様々な判断が拮抗している状況です。

3 指揮命令関係が形式的には希薄な場合、過重労働の責任は誰が追うのか?

 もっとも、このような経済的依存関係・従属関係が認められる一方で、業務についてある程度の諾否の自由が認められているケースについて、企業にどの程度の労働時間把握義務が認められるのかという論点については、世界的にも結論が出ていないように思われます。

 既に述べたとおり、雇用契約が存在しなくとも、使用者、被使用者の関係と同視できるような経済的、社会的関係が認められる場合には、労働時間把握義務は認められる余地があります。もっとも、例えばUberのような業務量を自分で選択できる勤務形態の労働者やその遺族が長時間労働を理由に企業補償を求めた場合、企業側からは、「業務量の把握が困難である以上労働時間の把握は不可能である、したがって、過重労働による健康悪化を予見することは困難である。」といった反論が出てくることが容易に想像できます。

 これに対して労働者側がどのような法律構成で労働時間把握義務を主張可能かですが、現状では、過去の裁判例が定立した「使用者、被使用者の関係と同視できるような経済的、社会的関係」(鹿島建設・大石塗装事件)、「特別の社会的接触関係」(鳥取大学事件)といった規範に合致する事実を丁寧に拾って主張を組み立てるというのが現実的と思われます。海外でUberドライバーに労働者性が認められた根拠も、形式的には乗客の評価という形を取りつつもドライバーに対する接客態度等実質的な指揮命令関係が存在した点にあります。このような実質的指揮命令関係の中に、業務量に関するものがなんらかの形で含まれており、過重労働を回避する術が労働者側に実質的にみて存在しないと評価されれば、これを根拠に労働時間把握義務を構成することが可能となるでしょう。

 また、企業は経済的依存関係・従属関係がある労働者を用いて利益を得ている以上、労働者の健康に対して何らかの責任を負うべきでしょう。このような価値判断は過去の裁判例に照らしても一定の正当性を含むものと考えます。こういった大きな視点から主張を組み立てることも必要なように思います。

65歳からの労災年金

先日、以前事件を担当した遺族の方から久しぶりに電話がありました。「年金額が突然下がった。理由が分からない。」とのことでした。

確認したところ、亡くなられたご主人(被災労働者)の年齢が今年で65歳を超える計算になるため、年金額が下がった模様でした。労基署の担当者が分かりやすく説明をしてくれなかったらしく、電話で担当者に再度確認してもらったところ、そのような理解で間違いないとのことでした。

労災遺族年金は、被災労働者の3カ月間の平均賃金をベースに1日分の賃金を算定し、これを基に家族の人数などを考慮して年金額を計算します。この被災労働者の一日の賃金を「給付基礎日額」といいます。
例えば、夫が死亡した場合、妻と18歳未満の子2人の家庭であれば給付基礎日額×223日分の遺族補償年金が支給されます。

そして、あまり知られていないことですが、この「給付基礎日額」には年齢階層ごとに最高限度額と最低限度額が定められていますが、以下のとおり65歳を過ぎるといずれの金額も大幅に下がります。

【最高限度額】
2万1111円(60~64歳)→1万5922円(65歳~69歳)

【最低限度額】
5804円(60~64歳)→4020円(65歳~69歳)

例えば、先に挙げた遺族3人の家庭でいうと、給付基礎日額が2万1111円だったものが65歳を境に1万5922円に減少します。年金額で言うと、470万7753円から355万0606円となり、年額115万円ほど減少する計算となります。 厚労省のHPに情報が出ていますので、詳細を知りたい方はご確認ください。「年金給付基礎日額の年齢階層別最低・最高限度額について」という部分に記載があります。

厚生労働省ホームページ
年金給付基礎日額の年齢階層別最低・最高限度額について

一般に65歳を超えて現役世代と同レベルの賃金を維持している方は少ないと思われるので、このような制度設計自体、やむを得ない点もあるようには思いますが、老後の将来設計が狂う可能性もあるので、労基署から事前に説明はしておいて欲しいと改めて感じました。私も65歳が近い方には予め説明するように心がけたいと思います。

当事者と支援者

 自死遺族が社会に対して何を訴え、何を求めていくべきかについては、多様な意見があり難しい問題です。私自身、親が亡くなったことを契機に、社会が抱える不条理を強く感じるようになり、その想いを社会に知ってもらいたいという動機で弁護団の活動に関わるようになりました。他方で、遺族が自分の要求実現のためにデモ行進をしたりロビー活動を行うというイメージは持てませんでした。かつての私もそうでしたが、多くの遺族はそのような精神的な余裕が無いまま日々の暮らしを辛うじて乗り切るのが精一杯、というのが現実だと思います。

 誰が何をできるのか、この問いは、社会運動そのもののあり方に関わる、根本的で難しい問題です。私も昔からいろいろ調べてはいるのですが、この論点は、国境を越えて、自死という領域に限らず論じられてきた論点のように思います。

 私が注目してきたのは、障碍者運動の領域でした。障碍者の領域は、重度の身体障がいや精神障碍を有する当事者が運動の先頭に立つことが可能なのか、他方で支援者や前面に出る運動のあり方が果たして妥当なのか、つまり、当事者と支援者との関係について精緻な議論がなされてきた歴史を持っています。自死も、自死した当事者は亡くなっているため当事者になれず、遺族も精神的に大きなダメージを負っており、どうしても支援者が前面に出がちな傾向がある点で、障碍者の領域に近いと考えています。

 韓国の障碍者運動の歴史を調べると、いくつか有益な視点を得ることができます。「韓国 障害運動の過去と現在 障害─民衆主義と障害─当事者主義を中心に」(※1)という記事を読むと、韓国でも「民衆主義」(市民運動への参加を支援者、行政、医療など様々な範囲に拡大すべきという主張)と、「当事者主義」(市民運動の主体はあくまで当事者であることを強調する主張)という2つの主張が対立していたことが分かります。「民衆主義」のように運動のウィングを広げていけば、いろいろな立場の人が運動に参加できる一方、多様な意見を集約するために主張は抽象化され曖昧(ときには極端に無害化され無内容。)になります。「当事者主義」のように運動への参加を当事者に絞ると、獲得目標が具体的で地に足のついた活動になる一方、運動は社会全体と足並みを揃えることができず孤立化・先鋭化するリスクを孕むように思います。

 障碍学の創設に貢献した研究者・活動家として世界的に有名なマイク・オリバー教授は、障碍者団体をいくつかの段階に分けて説明しています。大雑把に説明すると、初期は慈善団体や福祉施設関係者による待遇改善の運動から始まり、それが当事者のニーズに寄り添いきれない面が出てくると当事者の自助組織が生まれます。そして、その次には、当事者の待遇改善の要求だけでは個別の困窮者の支援・救済にとどまってしまうことに疑問を持ち、これを社会構造の問題と関連付けて当事者の「権利」として解釈しなおす組織が現れる。さらに、いずれはこれらの様々な動きが障碍者の権利実現のために連携し協力しあうようになると説明されています。日本の自死遺族支援にかかわる様々な活動が、現在どの段階に当てはまるか、ときには立ち止まって考えてみるのも必要なことのように思います。

※1
立命館大学 生存学研究所 生存学研究センター報告書 [20]
「第二部 韓国 障害運動の過去と現在  ──障害─民衆主義と障害─当事者主義を中心に」

遺族支援とは何か ⑤ネットワーク型アプローチの重要性 ―弁護士はカウンセラーになれるか?―

前回の投稿(「遺族支援とは何か④総合支援の誕生」)では、心理、医療、法律、宗教などさまざま分野が連携しながら総合支援を行うことの重要性について述べました。

では、そのような総合支援の担い手として、弁護士は何をするべきでしょうか。周りの弁護士を見ていると、大別して2つのアプローチが考えられるように思います。

1つ目は、自己完結型アプローチ。心理学や精神医療を学び、弁護士自身が法的サービス以外のサービスも提供できることを目指します。いわば、弁護士が単独で総合支援を行うアプローチです。

2つ目は、ネットワーク型アプローチ。弁護士はあくまで法的サービスの提供者であるというスタンスを維持しつつ、必要があればカウンセラーや医療関係者につなぐことを目指します。いわば、弁護士が他の社会的資源とタッグを組んで、総合支援を行うアプローチです。

個人的には、以下の理由から2つ目のネットワーク型アプローチの方が正しいと考えています。

まず、弁護士の可処分時間には限界があること。

法廷に出たり日常の業務をこなしながらカウンセラーや医療の役割を果たすだけの時間的余裕が作れない弁護士が大多数だと思います。依頼者からカウンセラー的な役割を求められることも時にはありますが、中途半端な知識で弁護士がカウンセラーや医師の役割を果たそうとするのはむしろ危険ですし、本職の方に失礼だと、個人的には考えています。

加えて、私たちの究極的な目的はネットワークを作りにあること。

日本社会は統計的に見ても自死の多い社会です。遺族支援では、自死のリスクを社会全体で吸収し、個人に過度な負担を負わせない仕組みを作ることが求められています。

社会全体で総合支援を実効的に機能させるには、膨大な数の支援の担い手が必要です。弁護士個人の努力だけでカバーできる範囲には限界があり、他の社会的資源と協力し、ネットワークを構築しなければ、総合支援の実現は到底不可能でしょう。

もっとも、2つ目のネットワーク型アプローチを採用するとして、これをどう実現するか、実践面こそが非常に大切です。単に他の社会的資源の連絡先を知っている程度では、繋いだ先で適切な支援が行われないことが多いように思います。社会的資源相互の信頼関係が重要です。 これについては、次回以降に詳しく述べます。

ネットいじめ問題の現状と対処法

1 ネットいじめとのかかわり

 私は、もともとは過労自死、生命保険、賃貸物件での自死など、自死に関する法律問題全般を専門的に扱っていましたが、私自身小学生の子を持つ親でもあることから、6~7年前からいじめ自死の相談を受けることが多くなりました。遺族の代理人として教育委員会と交渉を行ったり、遺族推薦の委員として第三者委員会で活動したりしている中で、2年ほど前にネットいじめ相談を受け、それ以来ネットいじめの問題に関心を持つようになりました。

2 ネットいじめの具体例

(1)使用されるアプリ

 かつてはネット掲示板(学校裏サイトなど)がネットいじめの温床とされていましたが、今日はSNSが利用される可能性が圧倒的に高くなっています。SNSの中でこどもの利用頻度が高いのはTwitter、LINE、高校生はInstagramやTikTokなどを使っていることもあります。また、オンラインゲーム(フォートナイト、荒野行動など)のボイスチャット機能などを用いていじめが行われることがあります。

(2)ネットいじめ行為の類型

 ネットいじめ行為の類型は、使用するアプリの機能に応じて多様に変化しています。典型的なパターンとしては、①Twitterなどでなりすましアカウントを作られ、虚偽の情報やプライバシー情報を暴露された、②自分の写真、動画を勝手に加工され拡散された、③lineなどのグループトークを外された、④いじめられているところを動画撮影され、拡散された、⑤罰ゲームとしてうその告白をされた、⑥過去の交際時の画像を拡散された(リベンジポルノ)、⑦オンラインゲームで、グループから外された特定のこどもへの集中攻撃が繰り返されたなどが考えられますが、今後も新しいアプリが開発されるたびに新しいパターンのいじめ行為が現れると予想されます。

3 ネットいじめの現状

(1)統計上も過去最多

文部科学省は、全国のいじめ事件の統計を取っており、毎年、調査結果の公表を行っています。(→文部科学省「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」)2021年10月13日に公表された、「令和2年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によれば、ネットいじめの件数は1万8870件で過去最多(平成29年度1万2632件、平成30年度1万6334件、令和元年度1万7924件。)となっています。学校が把握していないネットいじめも多数あると思われ、潜在的な件数はもっと多いことが予想されます。

 また、小中学校における不登校の件数も過去最多(19万6127件。)、小中高等学校におけるこどもの自殺も過去最多(415件。なお前年度は317件。)となっています。学校現場が現在非常に危険な状態となっていることが統計上も明らかとなっています。

(2)近時のネットいじめの特徴

 小学生でもスマホを持ちSNSを使うことが珍しくなくなった現在では、ネットいじめの特徴も変化が見られます。SNSを利用する場合、コミュニケーションの相手はクラスや友人などであり、多くの場合、現実に存在する人間関係を補完するツールとしてSNSが用いられています。その意味で、現在のネットいじめは掲示板などで見知らぬ人から攻撃されるようなパターンよりも、現実に存在する人間関係を前提に、ネット上でいじめ行為が行われるパターンの割合が増えています。つまり、ネットいじめの存在が確認できた場合、いじめ行為はネット上にとどまらず、クラスや部活動などリアルな人間関係の中にも広がっている可能性を疑う必要があります。

3 ネットいじめへの対処法

 ネットいじめの多くがリアルな人間関係を前提としている以上、2つのアプローチを併用する必要があります。具体的には、第三者委員会の設置など学校や教育委員会を通じていじめの実態解明を行うアプローチと、発信者情報開示などネット上のいじめの痕跡をもとに証拠収集を行うアプローチです。当事者適格の無い学校が発信者情報開示請求を行うのは不可能な一方で、学校におけるいじめの実態解明は生徒のアンケート等が非常に重要ですから、どちらか一方だけのアプローチでは不十分と考えます。

4「弁護士によるネットいじめ対応マニュアル」について

 私は、自死問題でともに活動してきた細川潔弁護士、私と一緒の事務所でインターネット事件を得意とする田中健太郎弁護士とともに、2年前からネットいじめ研究会を開催し、月1回のペースで議論を重ねてきました。そこでの議論をもとに、2021年11月、教育関係の専門書を数多く出版しているエイデル研究所から、「弁護士によるネットいじめ対策マニュアル 学校トラブルを中心に」を出版しました。

 本稿で述べている内容の多くは、この本からの引用です。本の中ではより具体的な対応策や、より高度な論点なども記載していますので、興味のある方は是非ご活用いただければと思います。

弁護士によるネットいじめ対策マニュアル 学校トラブルを中心に
細川 潔・和泉貴士・田中健太郎 著
「弁護士によるネットいじめ対策マニュアル 学校トラブルを中心に」

遺族支援とは何か ④総合支援の誕生

遺族支援という分野が生まれた初期のころは、「遺族支援=心のケア」だと考えられていました。 近しい人を自死で亡くした人は心に大きな傷を抱えます。
これをカウンセリングや投薬によって緩和することが重視された時期もありました。

しかし、自死遺族が抱える問題を丁寧に見ていく過程で、遺族は自死による心の傷だけではなく、経済面、生活面で様々な問題を抱えていることが明らかになってきました。
「夫が急に亡くなってしまい子ども3人を育てていく経済的余裕がない。」、「生命保険を支払って貰えない」、「ネットにプライバシー情報を書き込まれた。」、「学校にいじめの調査を求めたい。」、「アパートの大家さんから損害賠償請求の手紙が届いた。」等々、私たちはさまざまな相談を受けてきました。遺族の中にはこれらのトラブルが次々と発生し、死別の悲しみにひたる時間すら与えられないケースも少なくありませんでした。

どうやら、遺族支援とは心のケアだけでは不十分なのではないか。
心理、医療、法律、宗教などさまざま分野が連携し「総合的」に「支援」することが必要なのではないか。 そのような問題意識が広まる中で、「総合支援」という考え方が生まれてきたように思います。遺族の悩みはその人ごとに多様であり、多様な社会的資源が連携しつつ遺族を支える仕組みを作ることこそが重要である。そのような考え方が徐々に広まっていきました。

そして同時に、遺族支援に関わる弁護士の役割も明確になってきたように思います。詳細は次回以降に書きますが、遺族支援に関わる弁護士の役割は、弁護士がカウンセラーの代役を務めることではありません。弁護士が遺族の心情を理解しつつ、弁護士として質の高い仕事をすることこそが、「総合支援」を支える一角としての弁護士に求められている役割なのだと考えています。

遺族支援とは何か ③賃貸事案による偏見の可視化

先に「①「遺族支援」が生まれるまで」で述べた自死に対する偏見について、遺族はぼんやりと感じてはいたものの、「これこそまさに偏見である。」という形で可視化することがなかなか難しい、という点が問題でした。
そのような中で、2011年の頃から徐々に社会問題化していったのが賃貸事案でした。

賃貸物件内で賃借人が自死した場合、「気味悪がって次の借り手がつかない」という理由で、賃貸人が遺族に損害賠償請求を行うことが急速に拡大していった時期でした。
裁判所は、「気味悪がって次の借り手がつかない」ことについて「心理的瑕疵」にあたると判断し、遺族に損害賠償を命じる判決を出していました。
他方で、孤独死や病死については、遺族への賠償義務は発生しないとされていました。

遺族に対する損害賠償義務を肯定する裁判所の判断に対しては、様々な視点から批判をすることが可能です。

  • WHOの報告によれば、自死した人の97%は何らかの精神障害の診断がつく状態であったとされています。精神障害により死以外の選択肢が見えない状態で亡くなった場合に、遺族に損害賠償責任を負担させるという価値判断は妥当と言えるか。
  • 「命を粗末にした。」等、自死者に対する倫理的非難が上記価値判断には含まれているように思われる。しかし、自死が精神障害の影響であるとして「命を粗末にした」という非難は成り立つのか。そもそも自死は自己決定により行われたものと言えるのか。
  • そもそも「気味が悪い」とは何なのか。化けて出るというのであれば、孤独死であろうが自死であろうが死因によって差が出るものなのか。これこそ偏見ではないか。
  • 過労自殺によってアパート内で自死した事案について、遺族のみに経済的負担が課せられるという結論に問題はないか。自死のリスクは遺族だけではなく過重労働をさせた社会全体が負担すべきものではないか。

このように、賃貸事案は、自死に対する医学的、倫理的、社会科学的な理解が問われる論点を含んでいました。当時は自死者が3万人を超えていた時期でもあり、メディアで取り上げられることも多かったように思います。
何より、裁判所の判断という形で、自殺に対する偏見(少なくとも他の死因とは異なった扱いが当然視されていること。)が可視化されたことが大きかったように思います。遺族が感じている違和感を当事者以外の人に説明することが容易となり、自死に対する偏見がようやく社会的に認知されるようになっていきました。

*賃貸事案への対応については、「自死遺族が直面する法律問題‐賃貸トラブル‐」をご参照ください。

遺族支援とは何か ②「遺族支援」の発展 ―自己責任論の影響―

自殺対策全体に大きな影響を与えたのは、貧困問題という分野でした。

生越弁護士と私が自死遺族支援弁護団の構想を練り始めたのは2010年、当時はリーマンショックによって大量の解雇・雇止めが発生し貧困問題が社会問題として注目され始めた頃でした。私自身も日比谷公園で行われた年越し派遣村で生活保護の相談に乗りました。

貧困問題が当時社会に問いかけたのは、「貧困は自己責任か?」という疑問でした。生活保護受給者に対して、「働かないから悪い。」、「努力しないから仕事につけない。」などと語ることは簡単ですが、その前に考えることは無いのか。私たちの社会は人間が健康で文化的な最低限度の生活を送るためのシステムを作り、維持することが本当に出来ているのか。同様の視点から自殺対策を改めて見直したとき、いくつか見えてきたことがありました。

典型的な例として、過労死ラインを大幅に超える残業により精神疾患を発症してアパートで自死した事案で、遺族に対して大家さんから損害賠償を請求されることがあります。このような事案で、「自死者の心が弱いのが悪い。」、「そもそも育て方に問題があった。」など「自己責任論」を語っても無意味なことは明らかでしょう。過重労働を生み出した会社、ひいてはそれを許容する社会のありかた自体に目を向ける必要がありますし、自死によって遺族が被るダメージを社会全体で共有し・緩和するシステムを作る必要があります。

また、自死は自ら招き寄せた事故であることを理由に、遺族が保険会社から生命保険金の支払いを拒否された事案がありました。しかし、WHOをはじめ様々な研究論文において、自死者の大多数は自死直前に精神疾患を発症しているとの報告がなされています。精神疾患の影響で死以外の問題解決手段が思いつかない状態(これを心理的視野狭窄と呼びます。)になり死を選んだ人や遺族に対して、「自己責任」を理由に他の死因とは異なる扱いを選択することに合理性があるでしょうか。

このように考えたとき、「自己責任論」は必ずしも貧困問題固有の問題に限らないことが見えてきます。社会的少数者である自死遺族が被る不利益を正当化する根拠としても、当時は安易な「自己責任論」が語られがちな状況でした。

初期の自死遺族支援弁護団の活動を改めて振り返ったとき、「自己責任論」の影響をいろいろなところで垣間見ることができます。「自己責任論」批判という視点からいくつかの新しい法律構成が生み出されました。

遺族支援とは何か ①「遺族支援」が生まれるまで

自殺対策に関わるようになって、10年以上の月日が過ぎました。少し過去を振り返りながら、法律家からみて遺族支援とは何なのか、私個人の考えを述べてみたいと思います。

第1回目は、「遺族支援」が生まれるまでについて述べたいと思います。自殺対策には大きく分けて「自殺予防」と「遺族支援」という領域があるのですが、自死遺族支援弁護団が主として手がける「遺族支援」という領域がどのように生まれ、発展してきたかを、振り返ります。

私が自殺対策と関わるようになったのは、自殺対策基本法が制定(2006年)された直後の頃でした。当時の私はまだ弁護士になる前で、一当事者としてNPOが開催していた遺族の分かち合いに参加していました。その後、分かち合いの参加者に誘われて、自殺予防に関するシンポジウムにも顔を出すようになりました。自殺者は3万人を超え、3万人を視覚的に理解するための例として東京マラソンの出走者の映像を見たことを覚えています。

当時は、自殺予防と遺族支援はそれほど明確に区別されていなかったように思います。自殺対策基本法が制定された原動力の一つは遺族の声でしたから、自殺予防を推進するにも遺族の力が必要な時期でした。そして何より、遺族が抱えるさまざまな問題がまだリストアップされていない時期でしたので、遺族支援の必要性自体がまだ明確になっていない時期でした。遺族支援は明確に意識されないながらも自殺予防にぼんやりと包摂されている、そんな時期だったように思います。

その後、遺族が遺族であるがゆえに抱える困難が徐々に明らかになっていきます。
従来からある過労死に加え、自死であることを理由に特別な戒名をつけられた、死因は隠して葬儀は家族だけで行った、近所の目が怖くて買い物に行けない、犯罪でもないのにニュースで実名報道された、周囲に迷惑かけてすみませんでしたと謝罪するよう求められたなど、遺族が社会と接触する際に経験したトラブルについて、多くの声がNPOなどに寄せられるようになっていきました。

詳細は次回以降に述べますが、トラブルの背景には、自死というものに対する誤った理解や偏見があります。また、これらトラブルの多くは周囲とのコミュニケーションに関するもので、客観的に可視化することが難しかったため、自殺対策に関わる人たちの間でも共通認識となるまでには時間がかかりました。私もとある弁護士会の委員会でこの話をしたとき、遺族の考えすぎではないかと言われたことを覚えています。

精神面,人間関係等からみた遺族支援

 東京の八王子合同法律事務所に所属しております。弁護士 の和泉です。自死遺族支援弁護団では、関東地域の取りまと め役として活動してます。

 自殺対策と関わるようになってから7年ほど経ちます。弁護士になる以前から、自殺対策の領域で 活動していました。行政とも民間ともお付き合いさせていただき、行政、医療、社会運動、法律など様々な切り口から自殺対策を見てきまし た。過労自殺などの労働問題や社会保障領域を専門としつつ、自殺についてはあらゆる法律問題を扱っています。

 先のコラムでは主として法律面からの解説がなされていましたので、ここでは、精神面や人間関係 等の面から遺族支援について述べたいと思います。

 遺族が抱える精神面・人間関係面でのトラブルは、大別して5つほどに分類することができるで しょう。以下、それぞれ具体的に説明します。

1 体調不良

 遺族は精神的にコンディションを崩すことが少なくありません。とくに亡くなった直後は、 一日中起き上がることができない、笑うこと自体に罪悪感を感じる、ちょっとしたきっかけで涙が止まらなくなるといった状態が続く ことがあります。精神的な落ち込みが激しい場合には精神科への一時的な入院や通院が有効な場合も少なくありません。

2 親族関係

 例えば、お子さんを亡くされた家庭では、死 をどのような形で受容するかという点を巡って、家族間に亀裂が生じることがあります。また、従来からあった家族間の感情的な対立が、 死をきっかけにエスカレートすることも少なくありません。

3 近隣住民等との人間関係

 自殺は家族の恥であるという考え方がまだま だ社会の中に根強いため、死因や死亡の事実を秘密にする例が多数見受けられます。自死の事実を近隣住 民に話せない中で、ご近所付き合いが難しくなったり、買い物に出かけることができないといった声は数多く聞くことがあります。また、 実際に子育ての失敗や亡くなった方の性格など、根拠のない偏見にもとづく倫理的非難を遺族が受けることもあります。さらに、最近は少 なくなりましたが、宗教施設での不利益取り扱いなどを受けることもかつてはありました。

4 相談機関の不適切対応

 遺族が行政や専門家に相談に行っても、それら の社会的資源が遺族の抱えるトラブルについて予備知識を欠くため、十分なサービスを提供できない例が少なくありません。法律相談をし たかったのにカウンセリング等心のケアしか提供できない、または逆に、心の相談をしたいのに法律面だけのアドバイスしか受けられな かった、といった話は相談者の方から多数聞くところです。

5 絶望

 どれだけ遺族に対する精神的・法的支援が 充実しても、残念ながら失われた命が戻るわけではありません。その絶望感から、遺族は様々な問題解決について消極的になり、先送りし 続けた結果、事態がさらに悪化してしまうということがあります。近しい人を亡くした遺族にとっては大変苦しいことですが、現実問題と して、それでも生きなければならない現実があることも事実です。

 遺族が直面するこれらのトラブルが、遺族 が法律家に相談に行くこと自体に対する障壁となり、問題解決をよりいっそう困難にしているといえるでしょう。法律問題だけに光をあて るのではなく、これらのトラブルに配慮しながら、ときには民間、行政、医療など、他の相談機関と連携しつつ問題解決を図ることができ る点が、私たち弁護団の特徴です。

 法律的な観点から、遺族が負う必要のない 負担を少しでも多く取り除くことこそ、私たちの役割であると考えています。