自殺対策全体に大きな影響を与えたのは、貧困問題という分野でした。
生越弁護士と私が自死遺族支援弁護団の構想を練り始めたのは2010年、当時はリーマンショックによって大量の解雇・雇止めが発生し貧困問題が社会問題として注目され始めた頃でした。私自身も日比谷公園で行われた年越し派遣村で生活保護の相談に乗りました。
貧困問題が当時社会に問いかけたのは、「貧困は自己責任か?」という疑問でした。生活保護受給者に対して、「働かないから悪い。」、「努力しないから仕事につけない。」などと語ることは簡単ですが、その前に考えることは無いのか。私たちの社会は人間が健康で文化的な最低限度の生活を送るためのシステムを作り、維持することが本当に出来ているのか。同様の視点から自殺対策を改めて見直したとき、いくつか見えてきたことがありました。
典型的な例として、過労死ラインを大幅に超える残業により精神疾患を発症してアパートで自死した事案で、遺族に対して大家さんから損害賠償を請求されることがあります。このような事案で、「自死者の心が弱いのが悪い。」、「そもそも育て方に問題があった。」など「自己責任論」を語っても無意味なことは明らかでしょう。過重労働を生み出した会社、ひいてはそれを許容する社会のありかた自体に目を向ける必要がありますし、自死によって遺族が被るダメージを社会全体で共有し・緩和するシステムを作る必要があります。
また、自死は自ら招き寄せた事故であることを理由に、遺族が保険会社から生命保険金の支払いを拒否された事案がありました。しかし、WHOをはじめ様々な研究論文において、自死者の大多数は自死直前に精神疾患を発症しているとの報告がなされています。精神疾患の影響で死以外の問題解決手段が思いつかない状態(これを心理的視野狭窄と呼びます。)になり死を選んだ人や遺族に対して、「自己責任」を理由に他の死因とは異なる扱いを選択することに合理性があるでしょうか。
このように考えたとき、「自己責任論」は必ずしも貧困問題固有の問題に限らないことが見えてきます。社会的少数者である自死遺族が被る不利益を正当化する根拠としても、当時は安易な「自己責任論」が語られがちな状況でした。
初期の自死遺族支援弁護団の活動を改めて振り返ったとき、「自己責任論」の影響をいろいろなところで垣間見ることができます。「自己責任論」批判という視点からいくつかの新しい法律構成が生み出されました。