安全配慮義務とはなにか(職場の健康診断との関係を中心に)

 過労が原因で自死に至った場合などに、勤務先が安全配慮義務を怠っていたといえるかが問題となることがあります。

 では、そもそも安全配慮義務とはどういうものなのでしょうか。

 まず、安全配慮義務の法令上の定めとしては労働契約法5条があり、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」とされています。

 また、最高裁判所の判例においては、「使用者は…労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解するのが相当である」と判示されています(昭和59年4月10日判決)。

 これらを見ますと、安全配慮義務は、労働者の身体的な安全が保護対象の中心であるように考えられます。実際に、上記の最高裁判例では、職場で宿直業務中の従業員が殺害された事案であり、まさに労働者の身体的な安全が問題とされていました。

 その後の裁判例などの積み重ねもあり、現在では、安全配慮義務が労働者の精神的な安全にも及ぶことは当たり前のこととなっています。

 さて、労働安全衛生法55条において、事業者は労働者に対し、医師による健康診断を行わなければならないとされています(同条1項)。また、労働者はこの健康診断を受けなければならない、とされています(同条5項)。

 では、労働者が自らの意思で健康診断を受けなかった場合、事業者は安全配慮義務を免れるのでしょうか。

 この点についての最高裁判所の判断は出されておらず、議論があるところです。労働者の自己責任を重視し、自ら健康診断を受けなかった場合は、(少なくともその範囲で)事業者は安全配慮義務を免れるという見解もあります。一方、労働者の安全に配慮する一次的な責任は使用者が負うとして、事業者の安全配慮義務の免責を制限的に考える見解もあります。

 私見としては、単に労働者が自らの意思で健康診断を受けなかったとの一事をもって事業者が安全配慮義務を免れることは許されず、健康診断を受けるように使用者が十分に説得するなど労働者の安全確保に尽力するべきだと考えます。

大切な人の自死によるご遺族への影響と、(法的)支援

 どれほど自死予防に努力しても、大切な人が自死してしまうことがあります。

 そして、大切な人の自死により、ご遺族は、影響を受ける場合があります。自死による影響は、病死や事故死よりも、はるかに深刻であるといわれています(※1)

 大切な人の自死による影響として、ご遺族には、次のような反応が生じることがあるといわれています。すなわち、ひどく驚き、どうしたらよいかわからないという感情に圧倒される。自死が起きたという現実をすぐに受け入れられずに、現実を否認しようという心の動きが起きる。自分を責め、その結果、抑うつや不安が強まる。周囲からの非難をひしひしと感じる。何故愛する人が自死したのかという疑問が生じる。善意からの言葉だとしても、周囲の人からの言葉から心の傷が深まる等、様々な反応が生じることがあるといわれています(※2)

 大切な人の自死による影響を受け、ご遺族自身がうつ病、不安障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)等の精神疾患に罹患し、さらには、自死の危険が生じることもあるといわれています(※3)

 このブログでは、当弁護団の弁護士が、大切な人の自死によるご遺族への影響や、自死遺族の支援についても述べてきましたが、私自身も、自死してしまった大切な人に会いたい(※4)等の様々な想いを抱き、深刻な影響を受けている(可能性がある)ご遺族に対して、弁護士としてどのような支援が出来るのか、出来ているのかと考えることがあります。ご遺族に接するなかで、言葉が見つからず、お話をお聞きすることしかできないこともあります。

しかし、少なくとも、法的支援によって、法律問題(※5)によるご遺族の重荷を軽減したり、取り除いたりすることは、出来ると考えています。

 当弁護団は、自死遺族に対して法的支援を行う弁護団です。お話しできる時で、大丈夫です。もしよろしければ、当弁護団に、お悩みをご相談ください。

※1 高橋祥友「自殺の危険」第4版269頁。なお、私が申し上げるまでもないことですが、例えば大西秀樹「遺族外来‐大切な人を失っても」で述べられているように、大切な人との死別自体が、ご遺族に大きな影響を及ぼすことがあります。

※2 高橋祥友「中高年自殺」176頁以下。高橋祥友「自殺の危険」第4版270頁以下。なお、ご遺族の反応は、自死の直後に生ずることもあれば、何年も経ってから生ずることもあるといわれています(同276頁)。

※3 高橋祥友「自殺の危険」第4版276頁

※4 例えば一般社団法人全国自死遺族連絡会「会いたい」1頁には、「遺族はいつも亡くなった家族に会いたいと思っている。遺族の気持ちはこの一言がすべてだといっても過言ではありません。」と記されています。自死遺族の想いが記された書物としては、他にも、自死遺児編集委員会・あしなが育英会編「自殺って言えなかった。」、全国自死遺族総合支援センター編「自殺で家族を亡くして 私たち遺族の物語」等があります。

※5 法律問題としては、故人が抱えていた法律問題(負債、過労、事業不振、自死によって発生した損害賠償義務など)と、ご遺族固有の法律問題(相続、保証、労災、生命保険の不払いなど)が考えられます。「自死遺族が直面する法律問題」でも解説しています。

フリーランスをめぐる法整備

 コロナ禍を経て、フリーランスという働き方が注目されています。いまや、フリーランス人口は1577万人(新・フリーランス実態調査 2021-2022年版 – Speaker Deck)とも言われており、これから益々フリーランス人口が増えていくものと予想されます。

 フリーランスというと、時間や場所を拘束されない、組織に属さずに自由に働くことができる…といったイメージが先行しますが、必ずしも良い側面ばかりとはいえません。報酬未払いや発注者による買い叩きなど、様々なトラブルが発生するリスクがあり、また、法整備が十分になされていないという課題もありました。

 このような中で、2023年4月28日、国会で「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」(いわゆる「フリーランス新法」)が成立しました。フリーランス新法では、取引条件の明示義務や報酬支払遅延の禁止、義務違反の場合の公的機関への申出などについて定められ、フリーランスをとりまく取引の適正化や就業環境の整備が目指されています。

 また、最近では、厚生労働省が、労災保険の対象を原則としてすべての業種のフリーランスへと拡大する方針を示しています。従来、一部の業種を除き、フリーランスは労災に加入することが出来ませんでした。そのため、フリーランスが労災認定を受けるためには、労働者性を認められなければならず(語弊はありますが、わかりやすくいえば、働き方が雇用と同じと認められることです)、フリーランスと労災認定の間には、常にハードルがありました。フリーランスの労災保険加入が認められれば、フリーランスが自死された場合にとるべき選択肢も増えるものと思われます。

 フリーランスをめぐる法的対応については、ここ数年で大きく変わるのではないでしょうか。

時間外労働規制の上限について

 働き方改革関連法では時間外労働の上限(臨時的な特別な事情がある場合でも年720時間以内、月100時間未満、2~6か月平均で80時間以内)が法定され、2019年4月から適用されてきました。

 しかし、建設業界・医師業界・運輸業界については、人材不足等の影響により長時間労働が常態化していたことから、労働時間の上限規制の適用が5年間猶予されましたが、2024年4月からは上限規制が適用されることとなります。

時間外労働の上限規制の適用猶予事業・業務|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 この上限規制には様々な例外が設けられており、その実効性については大きな疑義があります。この点については今後も検証していかなければなりません。

 少し話は変わりますが、私が住んでいる大阪では、2025年に大阪万博の開催が予定されております。

 報道によれば、大阪・関西万博を主催する2025年日本国際博覧会協会(万博協会)が、パビリオンの建設が遅れ2025年の開催が間に合わないことを危惧し、政府に、建設業界の時間外労働の上限規制を万博に適用しないよう要望し、10月10日に開かれた大阪・関西万博推進本部においては、出席議員らから「人繰りが非常に厳しくなる。超法規的な取り扱いが出来ないのか。工期が短縮できる可能性もある」「災害だと思えばいい」といった意見が出たという報道もありました。

 どのように解釈すれば建築納期に間に合わないことを「災害」と同様に考えられるのか全く理解できません。2023年7月31日のコラムで甲斐田沙織先生がご指摘されたとおり、東京オリンピック・パラリンピックの主会場である新国立競技場の建設現場で働いていた男性が、「身も心も限界な私はこのような結果しか思い浮かびませんでした」とメモに遺して自死した痛ましい事件がありました。

 今回の大阪万博は「いのち輝く未来をデザインする」ということをテーマに掲げています。

 労働者のいのちを守るため、今後も自分にできることをやっていきたいと思います。

「私は、これからもこの電車に乗っていいんでしょうか?」

鉄道自死された方のご遺族が、鉄道会社からの損害賠償請求についての法律相談の際、最後におっしゃった言葉です。

鉄道自死のあった路線は、そのご遺族が毎朝、通勤に使っている電車でした。

ご遺族は自分の家族が鉄道会社に迷惑をおかけしたにもかかわらず、これからも自分はこの電車に乗り続けてもいいのか?と心配になったそうです。

「もちろん乗っても構いません。誰にも文句など言われません」とお答えすると、安心されていました。

ご遺族は、法律問題のみならず、さまざまな複雑なお悩みを抱えているのだなと、改めて痛感した言葉でした。

私達はこれからもご遺族に寄り添い、あらゆる面で、少しでもご遺族のご負担を軽くできるよう、地道に活動を続けたいと思います。 これから法律相談をされる方も、法律に関する内容に関わらず、お気軽に、なんでも弁護士に聞いて、お悩みを少しでも解消していただければと思います。

生命保険問題に関する細かい議論

免責期間中の自死(自殺)に関する生命保険問題については、当弁護団のHPにも記載がありますが、ここでは少し細かい話を。

戦前の判例では、自死(自殺)について「精神病その他の原因に依り精神障碍中における動作に基因し被保険者が自己の生命を断たんとするの意思決定に出ざるを場合を包含せざるものとす」と言及されています(大審院大正5年2月12日判決。原文はカタカナ)。

免責期間中の自死(自殺)に関して、訴訟になると、諸々論点が出てきます。主張立証責任の問題もその一つです。

主張立証責任の問題とは、要するに、原告被告間で、どのような事実について、どちらが主張立証責任を負うのか(負っている方が主張立証できなければ敗訴する)という問題です。

自死に関する生命保険問題について、主張立証責任は、一般的に以下のようにいわれています。原告(保険金請求者=遺族)が被保険者(亡くなった人)の死亡の事実を、被告(保険会社等)が自死の事実を、さらに原告が被保険者が自由な意思決定能力を喪失ないし著しく減弱させた状態で自死に及んだことを、各々主張立証するというものです。

なお、遺書がない場合、自死(自殺)したかどうかについては、死亡状況等の客観的状況、自死(自殺)の動機、被保険者の死に至る経緯、保険契約に関する事情等から判断されます。

「被保険者が自由な意思決定能力を喪失ないし著しく減弱させた状態で自死に及んだこと」を原告が主張立証するとされている理由は、原告が免責事由の排除の利益を享受するから、要するに、本来ならば保険者(保険会社等)が免責されるのに例外的に免責されずに原告が利益を受けようとするのであるから原告が主張立証せよ、ということのようです。

しかし、そもそも、自死(自殺)には「精神病その他の原因に依り精神障碍中における動作に基因し被保険者が自己の生命を断たんとするの意思決定に出ざるを場合を包含せざる」のですから、その大審院判例の定義からすると、自死(自殺)の意味の中に、「精神障害中」でないということが含まれているはずです。すなわち、被告(保険会社等)が自死(自殺)であったことを主張立証するというのであれば、被告が亡くなった人について「精神障碍中」でなかったことも主張立証すべきであるとなるはずです。現に、そのようなことをいう学説も存在します。

やや細かい議論ですが、生命保険問題を担当する際には、この点も必ず意識して主張するようにしています。

>>自死遺族が直面する法律問題 -生命保険-

自死にまつわる賃貸トラブルについて

 当弁護団には様々な自死にまつわるご相談が寄せられます。その中で、先日ご遺族より、「建物を借りていた子供が賃貸建物にて自死してしまった結果、当該自死により賃貸建物の価値が大幅に下落したとして、賃貸人より下落した価値に相当する損害賠償を請求されている。」とのご相談がありました。

 賃貸人からこのような請求をされると、多くの方は、「賃貸人から請求されているので払わなければならないのではないか。」と考えてしまうのではないでしょうか?

 しかし、実際には多くの場合、賃貸建物の減価分全額の損害賠償を行う必要はございません。

 大阪高裁平成30年6月1日判決は、「結局、本件建物が賃貸を目的とした収益物件であることを考えると、特段の事情のない限り、賃借人の自殺により本件土地建物の減価があるとしても、賃借人の債務不履行と相当因果関係のある損害は、本件建物の内、本件居室の賃料収入に係る逸失利益が発生することに基づく減価というべきである。」と判示しております。

 この判例は、賃貸人が賃貸建物を売却しようとしていたことを賃借人が知っていた等の特段の事情がない限り、自死による賃貸建物の価値減価分全額まで賠償する必要はないと判示しています。

 このように、裁判例を知らないことにより、本来支払わなくても良い損害賠償を請求され、これを支払ってしまうケースも多くあります。

 賃貸人等から何らかの請求をされた場合でも、安易に支払わず、本当に支払わなければならないものなのか、まずはお気軽に当弁護団にご相談ください。

>>自死遺族が直面する法律問題「賃貸トラブル」

12時間無料法律相談会を終えて

 2023(令和5)年9月16日(土)、12時間無料法律相談会が実施されました。

 電話とLINEを使用しての相談会でしたが、僕も電話相談を担当して複数の相談を受けました。

 弁護団は、年2回(9月は12時間、3月は24時間)、土日を含めた法律相談会を実施していますが、このような形態での法律相談会を実施する場合、かつては東京都内の法律事務所と大阪府内の法律事務所の2拠点に電話を設定し、各地から弁護士がそこに集合し、交替しながら受話器の前に座って待機して相談を受けるというものでした。

 しかし、最近は、各弁護士が事務所等でパソコンやスマートフォンを通じて電話を受けることが多くなりました。形態が変わったことにより、全国各地の弁護士が移動時間を気にせず法律相談会に参加できるようになり、その意味で電話相談体制は充実したものと思います。

 また、僕がこの弁護団に入った頃は電話相談のみで、LINEでの相談受付はしていませんでした。LINEでの相談受付も、毎回一定数あると聞いていますので、電話ができない・難しい方にとっての有用なツールになっているのではないでしょうか。

 弁護団では、ホームページでの相談を受け付けていますし、毎週水曜日(祝日等を除きます。)には12時から15時までホットラインを常設しています。 今回の12時間相談会で相談したかったけど相談できなかったという方は、ぜひこれらの方法で、お気軽にお問い合せ頂ければと思います。

遺族が警察から得られる情報について

 自死が発生した場合、自死の態様によっては、自死なのか、事故死なのか、犯罪による死亡なのか、警察によってその死因を究明すべき場合があります。

 死因究明に関して従来の日本では、犯罪による死亡ではない死体(犯罪死体及び変死体を除く死体)は、(ⅰ)監察医のいる都市でしか解剖することができないため死因究明に地域格差が生じたり、(ⅱ)遺族の承諾がなければ解剖することができないため遺族の意向によって犯罪死を見逃す可能性があったりするなど、必ずしも十分に死因を究明することができませんでした。
 そのため、犯罪死を見逃さないため積極的に死因を究明するために解剖を初めとした調査を行うべきであるという声が広がりました。
 また、平成23(2011)年の東日本大震災の発生により、多数の遺体の身元確認作業が困難を極め、平素から身元確認のための体制を整備しておく重要性が再認識されました。

 このような情勢の中で、平成24(2012)年に、死因究明に関する2つの法律が国会で可決成立しました。
 一つは、①「死因究明等を推進する法律」(以下、「死因究明等推進法」といいます。)いい、もう一つは②「警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律」(以下、「死因・身元調査法」といいます)といいます。
 ①「死因究明推進法」は2年間の時限で失効し、その後死因究明等に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るための検討会を設けた上で、死因究明等に関する施策を進めるために、令和元年6月に「死因究明等推進基本法」が改めて成立しています(令和2年4月施行)。
 また、②「死因・身元調査法」は、犯罪捜査の手続が行われていない場合であっても警察及び海上保安庁が法医等の意見を踏まえて死因を明らかにする必要があると判断した場合、遺族への事前説明のみで解剖(調査法解剖)を実施することが可能となりました。 

 特に「死因・身元調査法」は、「遺族等の不安の緩和又は解消」という目的(死因身元調査法第1条)のもと、「取扱い死体の引渡し時に、遺族等に対して、当該取扱い死体の死因その他参考となるべき事項について説明しなければならない」旨が規定されています(死因身元調査法第10条第1項)。
 そして、詳しい取扱いについては、「遺族等に対する死因その他参考となるべき事項の説明について(通達)」(警察庁丁捜一発第55号。平成31年3月29日から5年間有効)に記載されています。

 この通達によると、「死因」として、「その死が犯罪に起因するものではないと判断した理由及び死亡者が死に至った経緯を含む死因」(同通達2⑸)や、「その他参考事項」として「遺族等の不安の緩和又は解消に資すると考えられる事項等」(同通達2⑹)を説明するべきであるとされています。
 また、「遺族等の心情に配慮した説明」として、「遺族等の不安や疑問をできる限り解消することができるように、資料を提示の上説明を行うなど遺族等の心情に配慮した適切な説明に努めること」(同通達4⑵)と記載されています。
 加えて、「遺族等から⑵の説明にかかる調査、検査等の結果の提供を求められた場合にはできるだけ速やかに、・・・調査の実施結果(外表の調査及び死体の発見場所の調査の結果)、検査の実施結果(実施した検査項目及びその結果)に関する客観的事実を簡潔に取りまとめた書面を交付の上、再説明を行うこと」(同通達4⑶)とされているので、警察から書面の交付を受けることも可能です。

 実際に、「自死してしまったけれど、遺書もなく、病院への通院歴もないためカルテも確認できない。職場の人からも話を聞くことができず、なぜ亡くなったのかが分からない」、といったケースは少なくありません。
 このような制度を利用することで、警察が聞き取った職場の人の話や、亡くなる直前の故人の様子などが明らかになることもあります。
 あまり知られていない制度ですが、限られた情報しか残されていないご遺族からすればこのような制度を活用して、一つでも多くの情報を入手することは極めて重要です。

インターネット上の誹謗中傷~加害者の特定と責任~

 近年、著名人の自死に関する報道を目にする機会が増えました。その背景に、インターネット上での誹謗中傷が影響したとみられるケースが後を絶ちません。

 主に学校に関連するネット上のいじめやプロバイダ責任制限法の改正については、2023年1月30日付の田中健太郎弁護士のブログ記事(「学校でのネットいじめへの対応」)でも触れているところですが、インターネット上での誹謗中傷がなされた場合の相手方の特定方法と加害者の責任について、あらためて整理したいと思います。

1 加害者の特定方法

(1) 誹謗中傷の加害者(発信者)を特定するためには、①コンテンツプロバイダ(サイトやSNSの運営会社)に対して投稿時のIPアドレス等の開示請求を行い、②開示されたIPアドレス等から利用されたアクセスプロバイダ(NTTなどの通信事業者)を特定し、さらに、③同アクセスプロバイダに対して契約情報の開示請求を行うというプロセスを経る必要があります。

①③について、各プロバイダが裁判外で任意に開示をしない限り、加害者を特定するために2回の裁判手続を経る必要があります。そのため、被害者にとっては多くの時間とコストがかかり負担が大きく、また、開示に時間がかかっているうちにログの消去などで発信者の特定が困難になってしまう場合がある、という課題がありました。

(2) そこで、令和2年及び令和3年に、発信者情報の開示手続を簡易かつ迅速に行うことができるように、プロバイダ責任制限法についていくつかの法改正がなされました。

 その一つが、2023年1月30日付の田中健太郎弁護士のブログ記事(「学校でのネットいじめへの対応」)でも触れていた新たな開示手続の運用です。1つの裁判手続で発信者情報を開示できるよう、発信者情報開示命令という非訟手続が新設されたものです。この手続では、基本となる発信者情報開示命令に加え、提供命令(コンテンツプロバイダが有するアクセスプロバイダの名称の提供を命令すること)、消去禁止命令(発信者情報を削除することを禁止すること)という合計3つの命令が組み合わさって進行し、発信者情報の開示を一つの手続で行うことが可能となります。プロバイダ側の協力が前提になりますが、争訟性の低い事案については簡易迅速な情報開示が狙いとされています。

(3) その他の改正のポイントについてもご紹介します。

 まず、プロバイダ責任制限法の委任を受けた省令が改正され、「発信者の電話番号」が開示対象となることが明記されました。これにより、手続①でコンテンツプロバイダから投稿者の電話番号の開示を受けた場合、電話会社を特定したうえで弁護士会照会により電話番号の契約者を照会することで投稿者が特定できるようになりました。電話番号の開示を受けることができた場合には、③の手続を省略することができるため、従来よりも時間と費用の負担が軽減され得るものといえます。

 また、SNS等の中には、個別の投稿に関する通信記録を保存せず、アカウントへのログイン情報のみを保存する「ログイン型」と呼ばれるものがあります。X(旧Twitter)やFacebook等がこれに当たります。改正前の法では、このようなログイン型が想定されておらず、開示対象となるのは「当該権利の侵害に係る発信者情報」に限られ、ログイン情報が開示の対象となるのか不明確でした。改正法は、ログイン情報の通信に関しても「侵害関連通信」とし、侵害関連情報に係る発信者情報を「特定発信者情報」として、開示対象となることを明確にしました。

 ただし、あくまで、権利侵害を伴う通信に関する情報開示が原則であり、ログイン情報の通信からの情報開示については補充的なものとして位置づけられています。そのため、補充的要件が加重され、開示請求できる場合が限定されている点に注意が必要です。このような手続きによって判明した投稿者に対し、損害賠償請求や刑事告訴をしていくことになります。

2 加害者の責任

 (1) 刑事責任

 インターネット上で誹謗中傷を行った加害者生じる刑事責任には、主に名誉毀損罪、侮辱罪による責任があります。

 名誉毀損罪は、不特定多数の第三者に対して、事実を摘示して、人の社会的評価を低下させる行為をしたことで成立する犯罪です。刑法230条により「3年以下の懲役若しくは禁錮または50万円以下の罰金」に処せられます。

 他方、侮辱罪とは、事実を摘示することなく、他人おとしめるような言動をしたことで成立する犯罪です。名誉毀損罪との違いは、事実を摘示しているかどうかという点にあります。

 侮辱罪は、従来の法定刑は拘留又は科料でしたが、2022年7月の改正以降は、「1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」の法定刑となりました。

 侮辱罪の厳罰化には、2020年5月、テレビ番組に出演していた女子プロレスラーがSNS上で誹謗中傷を受け命を絶つ事件が発生した経緯がありました。同事件では、投稿者である2名が侮辱罪で略式手続で起訴されましたが、科された刑罰はいずれも科料9000円にとどまりました。これを受け、侮辱罪の罰則が低すぎるとの指摘がなされ、また、名誉毀損罪の場合と法定刑に差がありすぎたことも踏まえて厳罰化に至りました。

(2) 民事責任

 誹謗中傷が民事上の不法行為(民法709条)に当たる場合には、被害者は加害者である投稿者に対して損害賠償請求をすることができます。

 誹謗中傷が影響して自死に至ったと思われるケースであっても、裁判で認められ得る慰謝料金額については注意が必要です。誹謗中傷により傷ついたという意味での精神的苦痛に対する慰謝料は、数十万程度となってしまいます。誹謗中傷により自死に追いやられたという死亡慰謝料が認められるためには、加害行為と死亡の結果について法的な因果関係が認められる必要がありますが、誹謗中傷の被害者が必ずしも自殺するわけではなく、自殺することまで予見できたとは限らないことを踏まえると、この因果関係を認めることは難しいのが通常です。

3 まとめ

 以上のように、インターネット上の誹謗中傷に関しては、近年社会問題化していることから、加害者の特定手続が整備され、また、従来は見過ごされていたような侮辱罪に当たる書き込みも厳罰化に伴い問題視されやすくなることで、悪質な書き込みを抑止する効果も期待できる方向に向かっているものといえます。とはいえ、今なおインターネット上での誹謗中傷が絶えないことや、民事責任の追及が必ずしも容易ではない現状も踏まえて、今後もこの問題については注視していく必要があるものといえます。