2024(令和6)年度の精神障害の労災補償の状況について

 毎年度、厚生労働省から「過労死等の労災補償状況」についての取りまとめが公表されており、令和6年度の統計についても、令和7年6月25日に公表されています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_59039.html

 かかる取りまとめによれば、精神障害での労災認定の件数が、統計を始めた1983年以来初めて1000件を超えたことが明らかとなっています(支給決定件数1055件、内自殺は88件)。

 件数が増加した要因の一つとして、パワハラ、カスハラの認定件数が増えたことが挙げられます。

 まず、「上司等から、身体的攻撃、精神的攻撃等のパワーハラスメントを受けた」いわゆるパワハラですが、令和5年度は157件の認定件数であったものが、令和6年は224件に激増しているということが分かります(ただし、自殺に関しては、令和5年、令和6年どちらも認定件数は10件)。

 次に、「顧客や取引先、施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた」カスタマーハラスメント、いわゆるカスハラですがが、令和5年が52件であるのに対して、令和6年は108件と倍増(ただし、自殺に関しては、令和5年、6年とも認定は1件)していることが分かります。

 このように、パワハラ・カスハラに起因する精神障害の労災認定が増加している背景としては、令和5年度に認定基準の改正によりパワハラに関する基準が類型化されたことや、カスハラに関する基準が追加されたことが影響していると考えられます。

 パワハラ・カスハラの相談が増加しているのは、日頃から労働相談を受けていている身としても実感します。

 かつては、パワハラ・カスハラの立証が困難という側面がありましたが、最近では、スマートフォンやICレコーダーなどで録音することが比較的容易になりました。最近は、相談者から、「実はこんな音声がありまして…」と録音をお示しいただくことも増えています。実際に録音を聞いてみると、文字起こしを読んでいるだけでは伝わりにくい威圧的な雰囲気が記録されていることもあります。みんなの前ではニコニコ優しく振る舞っている良い上司が、特定の人にだけ恐ろしいハラスメントをしている、そんな録音を聞いたこともあります。

 このように、ハラスメントの実態を把握しやすくなったということが、パワハラ・カスハラを要因とする労災認定が増えた要因と言えるかもしれません。

 上記でも触れたとおり、自殺に至ったケースに限ると、統計上、令和5年、6年の比較ではパワハラ・カスハラを要因とする労災認定件数が増加しているわけではありません。自殺の場合、当人からの証言が得られず、録音等もあるかないかも分からない、という難しさがあることも影響しているでしょう。

 しかし、相談者であるご遺族からは、故人がハラスメントに遭っていたようだ、とのエピソードが出てくることはしょっちゅうあります。自殺案件においても、ハラスメントの事実が適切に認定されるように、録音等の痕跡がどこかに残っていないか、証拠の収集の進め方を含め、今後とも研鑽を積んで参りたいと思います。

ご遺族からの相談を聞くに当たって

1 「こんなにしっかりと話を聞いてもらえたのは初めてです。」といった類いの言葉を法律相談の場で聞く度に複雑な気持ちになります。「ここに来るまでに○人断られました。」という話も同様です。

 確かに、相談の中には法律ではどうしようもない事案もあり、「対応出来ない」とはっきり伝えることが大切な場合もあります。しかし、上記のように仰って頂ける事案の中には、相談を聞いた弁護士が、可能な限り話を理解しようと努め、かつ、確かな知識を有している場合であれば、何らかの方針を示すことができた事案も少なくありません。また、相談を聞いたその場では馴染みのない法律関係に関する話であったとしても、話を整理する過程でとっかかりとなる法令や判例を調べてみることで、お伝え出来ることが出てくる場合も少なくありません。

 つまりは、法律相談に来られた方の抱えている問題の解決に向けて、対応した弁護士がどれだけ広い視野を持って「本気で」考えたかによって、その対応に大きな違いがあるということだと思います。

2 この点、自死に関するご遺族からの相談においては、できるだけ多角的に事案を検討する必要があることから、原則として、ご遺族の主訴にとらわれることなく、あらゆる可能性を考えて聴き取りに当たることが必要となります。

 例えば、賃貸マンションにおける自死のケースで、家主からの賠償請求の有無や金額を教えて欲しいといったご遺族の相談を想定した場合、その点だけを答えて終わってしまうと、後々取り返しのつかない場面が出てくる場合があり得ます。具体的には、自死者自身の預貯金もそれほど多くなく、ご遺族にも経済的な余裕がない場合に、家主からの損害賠償請求額が数百万円になることが見込まれるという理由だけで安易に相続放棄を勧めて終わってしまうような場合です。このとき、ご遺族自身も相談時に思い至っていなかった事情として、実は、働き過ぎや職場でのパワーハラスメントなどが原因で精神障害を発病し、結果として自死してしまったという事情が隠されていたらどうなるでしょうか。その可能性を考慮せずに安易に相続放棄を勧めて法律相談を終えてしまうと、後に勤務先に対して数千万円の損害賠償請求が可能となる事案であったとしても、早々に相続放棄をしたことにより、気付いた時にはその権利を失っていてどうにもならない、ということになります。

3 別の例として、自死者の遺品から、一見すると交際相手とうまくいかなくなったことが自死の原因であるかのように考えられ、ご遺族の主訴も、交際相手に何か請求出来ないか、というものであったというケースを想定してみます。このとき、遺品から伺える交際相手とのやり取りが、男女間の日常的ないさかいの域を出ない程度のやり取りであったと考えられる場合には、「交際相手への請求は法的には難しいですね。」などと助言して終わってしまう場合もありうるところです。しかし、生前の自死者の人柄や、自死前の様子の変化などに聞き取りの範囲を広げていくことで、実は、交際相手とうまくいかなくなっていたのは、仕事のストレスで本人も気付かないうちに精神障害を発病していたからであって、本当の原因は職場にあったという場合もあるかもしれないのです。

4  上記2つの例において、ご遺族の主訴だけにとらわれて相談を終えてしまうと、亡くなられた方が何に苦しんでいたのかという真実にたどり着くことは困難となりますし、ご遺族の重要な法的権利を失わせることにもなりかねません。しかし、対応する弁護士があらゆる可能性を視野に入れて事情を聴き取ることで、それを防ぐことができる場合もあるでしょう。

 他方で、ご遺族の中には、様々な事情から、多くのことを話したがらない方もおられます。そのため、常に詳細を聞き取ることができる訳ではありませんが、だからといって、相談に臨む弁護士が、詳細を聞き取らなくても良いということにはなりません。

5 自死遺族支援弁護団では、可能な限り広い視野にに立った上で様々な法的問題に対応出来るよう、所属する弁護士間での情報共有や勉強会などを通じて日々研鑽を重ねています。

 皆様から安心してご相談頂ける様、私自身も努力し続ける所存です。

故人の通院歴を調べる方法

 自死された事案では、お亡くなりになる直前の故人の精神状態を詳細に知りたい、ということがしばしばあります。例えば、鉄道に飛び込んだ場合などであれば、損害賠償義務が発生するか否かの判断にあたり故人の精神状態が重要な判断要素となります。また、生命保険の免責期間内の自死について保険金が支払われるか否かの判断にあたって重要な要素となります。さらに、過労による自死の場合であれば、発病時期を特定する重要な情報となります。

 もっとも、単身赴任などの事情により、故人が遠方で一人暮らしをしていたような場合だと、故人の精神状態を十分に把握できていないことがあります。このような場合に、故人の通院歴を調査し、通院先からカルテを取得することで、故人の精神状態を詳細に把握できることがあります。

 故人の通院歴を調べる方法はいくつかありますが、もっとも効果的な方法は診療報酬明細書等の開示を求めることです。

 一般に医療費は、患者が3割を医療機関に支払い、残りの7割は医療機関が健康保険組合から支払いを受けています。診療報酬明細書等は、医療機関が健康保険組合に医療費を請求するために作成・提出する書類です。健康保険組合ではこの書類を保存していますので、その開示を求めることで、故人が通院していた病院を把握することができます。

 開示を求める先は、故人が加入していた健康保険組合です。故人の保険証が残っていれば、保険証の「保険者名称」を見れば健康保険組合を把握できます。保険証が残っていない場合は健康保険組合を直ちに特定できないこともありますが、勤務先や居住地などの情報を基に特定することは可能です。

 診療報酬明細書は医療費を請求するための書類であるため、どのような治療をしたのか、どのような薬を処方したのか、といった情報は記載されていますが、なぜそのような治療を選択したのか、患者がどのような訴えをしていたのか、といった情報は記載されていません。故人の精神状態を詳細に把握するためには、故人が医師にどのような訴えをしていたかという点が重要になります。そのため、カルテを取得し、詳細な情報の収集を図っていくことになります(もっとも、カルテに詳細な情報が記載されていないケースもあるので、カルテがあれば必ず情報収集ができるとは限りません)。

 ご遺族のお手元に情報がない場合でも、様々な手段を駆使することで情報を収集できることがあります。手元に情報が無くて困ってしまったというときも、ぜひ当弁護団へご相談ください。

精神障害の労災における発病時期について

1 労災の認定基準では原則として発病前おおむね6か月の心理的負荷が評価対象になること

 職場でのパワハラや長時間労働等が原因でうつ病や適応障害等の精神障害を発病し自死された方のご遺族が労災を請求する場合、労働基準監督署は、厚生労働省が策定した心理的負荷による精神障害の認定基準(以下「認定基準」といいます。)に基づいて、労災か否かを判断します。

 認定基準では、原則として、うつ病や適応障害等の対象疾病の発病前おおむね6か月の間の、パワハラや長時間労働等の仕事による強い心理的負荷が評価対象になります(※1)。

 発病前おおむね6か月の間ですので、”発病後”や“おおむね6か月より前”にパワハラや長時間労働等があっても、それらは原則として労災か否かを判断する際の評価対象になりません。

  ですので、労災では、故人がいつ精神障害を発病したのかが実務上問題になります。

2 発病時期の特定は容易?

 ですが、故人が精神科や心療内科等に通院していた場合にはいつ発病したと考えられるかを主治医に聞くこともできますが、特に故人に通院歴がない場合、発病時期の特定は、必ずしも容易ではないと思います(※2)。

 例えば、皆様やその大切な方は、職場、学校や家庭等でひどく落ち込む出来事があって、憂うつになり、気分が暗くなったり、やる気が出なかったり、食欲がなかったり、イライラしたことはないでしょうか?

 労災の対象疾病の一つであるうつ病の症状として憂うつになり、気分が暗くなったりすること等もありますが、健康な人が日常生活においてそのような経験をすることもあります。

 うつ病は、誰しもが経験し得る正常心理としての憂うつが極端化した病気と表現されることがあります(※3)。うつ病になると、健康な人の気分からは、量的にも、質的にも違う状態になり、人間関係や社会活動等に様々な障害を引き起こすといわれています(※4)。

 量的にも質的にも違いがあるといわれていますが、症状の軽いものは、朝、いつものように新聞やテレビを見る気にならないといったことで始まるともいわれています(※5)。いつものように新聞やテレビを見る気にならないというようなことは、健康な人も経験し得ることだと思います。

 動作緩慢、話が途切れがちになる等といった、うつ病と分かりやすい状態もありますが(※6)、いつ病気になったのかの判断が難しい場合はあります。

 このように、発病時期の特定は、必ずしも容易ではないと思います。

3 出来る限り発病時期を検討したいこと

 発病時期の特定は必ずしも容易ではなく、認定基準にも、特定が困難な場合のルールも定められています。

 それでも、出来る限り、発病時期を検討したいです。

 というのも、証拠を集め、発病時期を十分に検討しないと、労災認定の手続や裁判において、故人に強い心理的負荷を与えた出来事が評価対象にならない発病時期を認定されてしまうおそれがあります。

 例えば、平成25年6月25日神戸地方裁判所判決は、平成14年4月に異動し、同年5月28日に自死した故人のご遺族が公務災害の認定を求めた事案です。

 発病時期について、ご遺族は、平成14年5月のゴールデンウィーク明けであると主張していました。それに対して、被告である地方公務員災害補償基金は、平成14年4月20日頃であると主張していました。被告の主張する時期が発病時期だとすると、その後の仕事での心理的負荷が原則として評価対象になりません。

 裁判所は、以下のとおり、故人のご様子から、発病時期を丁寧に検討しました。

 すなわち、裁判所は、故人が同年4月中旬頃から徐々に眠れなくなったこと等について、異動により労働時間が増大したことや、乳児である長男との同居による生活リズムの変化によって従前より生活に余裕がなくなり、睡眠時間が不規則ないし不十分になったことによる可能性が高く、うつ病の症状とは認められないとしました。

 また、同年4月下旬から5月上旬に体重の減少や、これまでよく見ていたテレビ番組を見なくなったこと等については、うつ病エピソードの典型症状の一つである興味と喜びの喪失が認められるが、他の典型症状が認められないことから、この時点でのうつ病の発病も認定が困難であるとしています。 そして、同年5月中旬になると、仕事が終わらないこと等に対する不安や仕事の勉強と段取りを組まなければならないことへの精神的重圧を感じていることをうかがわせる言動が見られたことや、食事以外はほとんど横になっており、よくため息をつき、会話をしていてもぼんやりとする等、明らかな活動性の低下が見られ、休日には、長男が泣き出しているのに、横になって寝ているのみであったこと等から、同月19日頃にうつ病を発病したものとして公務起因性を検討するのが相当であると判断しています(※7)。

 ですが、ご遺族やその代理人が発病時期の検討や主張を十分に行わなければ、裁判所が以上のように判断せずに、被告の主張のとおり判断された可能性は、否定できないと思います。

4 さいごに

 発病時期が正しく理解されないことで、故人に大きな心理的負荷を与えたと考えられる出来事が評価対象にならず、故人の苦しみが十分に理解されないことは、あってはならないと思います。

 当弁護団は、故人が受けた強い心理的負荷を与える出来事はもちろん、発病の有無や時期について、事実を大事にして、証拠収集からご協力しています(※8)。当弁護団にご相談いただければ、ご遺族や故人の想いが伝わるよう、尽力いたします。

 よろしければ、ご相談ください。

※1 労災の要件や手続等については、当弁護団の解説をご覧ください。

※2 通院歴がない場合の発病時期の立証については、西川翔大弁護士「通院歴がない場合の発病の立証」をご覧ください。

※3 鹿島晴雄他編「改訂第2版よくわかるうつ病のすべて‐早期発見から治療まで‐」3頁

※4 松下正明編「臨床精神医学講座第4巻気分障害」199頁

※5 上島国利他編「気分障害」38頁

※6 神庭重信他編「「うつ」の構造」48頁

※7 控訴審判決である平成26年3月11日大阪高等裁判所判決も、発病時期を5月19日頃としています。

※8 晴柀雄太弁護士「事実に始まり、事実に終わる」吉留慧弁護士「故人の足跡を探す」もご覧ください。

遺族と向き合って感じたこと

 ご遺族からの話を伺っていると、「一緒に暮らしていたのにどうして気付いてあげられなかったんだろう?」と自分を責める方が少なくありません。

 そこには、もし亡くなった家族が生前発していたSOSや精神障害による変化に自分が気付けていたら、大切な人を自死で失うことはなかったかもしれない、という悔いのような想いがあるのかもしれません。

 遺族としては当然の想いだと思います。

 しかし、そもそも人は日常生活の中で気分が落ち込んだり、体調を崩したりすることがある生き物ですので、たとえ元気が無い様子に気付いたとしても、それが精神障害と結びついて理解されることは稀なことだと思います(病気の影響で仕事のパフォーマンスが低下する可能性があることや、意欲が低下する可能性があることに気づけるだけの知識を持った人は多くはないでしょう。)。

 また、精神障害の中には、軽症うつ病エピソードや適応障害のように、周囲の人が気付きにくいものもあります。

 例えば、軽症うつ病エピソードであれば、本人が仕事を行うことにいくぶん困難を感じるという程度で、完全に働けなくなるわけではありませんので、周囲の人は気付かないことが多いと思います。また、適応障害であれば、ストレスの原因が仕事にある場合、仕事と関係ない、例えばプライベートな時間はいつもと変わらず元気に過ごせたりしますので、家族が変化を感じ取ることはそもそも難しいのではないかと思います。

 この様に、精神障害の症状が出ていたとしても、日常よく見られる心身の変化と区別することが困難な場合が多いうえ、家族だからこそ気付きにくい病気もある以上、「気付いてあげられなかった」ということでご遺族が苦しむ必要はないのです。

 私自身は、ご遺族が自分を責めて苦しむということは理不尽なことだと考えています。そのような理不尽で苦しむご遺族が少しでも減って欲しいという願いから、日頃相談を受けていて感じたことを綴ってみました。

 誰かの一助になれば幸いです。

自死の場合の健康保険適用の可否

1 自死された方が、病院で各種治療を受けた末にお亡くなりになった場合、ご家族を亡くされたご遺族が、後に高額な医療費の請求を受けるに至り困っているというご相談を多くお聞きします。自死にまつわる健康保険適用に関して整理したいと思います。

2 健康保険法第116条では「故意に給付事由を生じさせたときは、当該給付事由に係る給付は、行なわない。」と規定しており、自死についてもこの規定が適用されますので、自死が「故意」だと評価されると、健康保険が使えないということになります。この理由は、自殺未遂を含め、故意に給付事由を生じさせる行為は、「制度の秩序を乱し、適正な運営を阻害するとともに、偶然的に発生する給付事由に対し、相互に救済しようとする健康保険制度の本質からしても許されない」ものであるからとされています。(「健康保険法の解釈と運用」)

 もっとも、自死の場合でも健康保険が使える例外が2つあるとされています。

3 第1に、自死が「精神疾患等に起因するもの」と評価される場合です。

 平成22年5月21日付けの厚生労働省保険局の通達「自殺未遂による傷病に係る保険給付等について」では、「自殺未遂による傷病について、その傷病の発生が精神疾患等に起因するものと認められる場合は、『故意』に給付事由を生じさせたことに当たらず、保険給付等の対象としております。」とされています。

 しかし、この取り扱いについては何度も通達等が発出されているにもかかわらず、医療現場での取扱いはまちまちであるようで、命をとり止めたご本人や亡くなられた場合のご家族に対して、重い医療費負担が強いられるのが実情です。特に、精神疾患等での受診歴や通院歴がない場合には、「精神疾患等に起因するもの」との認定が難しく、ご本人やご家族に10割の医療費負担を求められる場合が多くあります。

4 第2に、自死という行為に対する認識能力がない場合です。

 かなり古い通達ですが、昭和2年11月12日付けの社会局保険部長の通知では、「行為(結果を含む)に対する認識能力なき者については「故意」の問題を生ぜずかかる者の自殺の場合は故意に事故を生ぜしめたるものと謂うを得ざるものとす」とされています。厚生労働省に確認をしたところ、現在でも同通知に示された指針で運用をしているとのことでした。

 この通達を踏まえると、第1の「精神疾患等に起因するもの」でない場合でも、第2の「認識能力」の有無によって「故意」には該当しないとする場合があるという理解になるようです。

5 以上のように、健康保険法の「故意に給付事由を生じさせたとき」に該当するかどうかについては、通達や通知による指針が示されていますが、自死直前の症状や自死に至った経緯はさまざまであるため、特に精神疾患等による受診歴や通院歴がない場合には「故意」の問題を生じますし、受診歴や通院歴があっても10割の請求が来てしまうこともあるようです。

 「精神障害等に起因する」といえるかや、認識能力がなかったことの最終的な判断は、健康保険組合の医師の判断によるところが大きいといえますが、たとえ精神疾患等による受診歴や通院履歴がなくとも、亡くなられた方の自死直前の状況、たとえば、普段と違った様子、不眠、食事量や体重の変化等のご家族から見た症状のほか、遺書の内容、本人のインターネット検索履歴等から、精神疾患の発病の有無、認識能力の有無を説明することにより、健康保険適用が認められる余地はないとはいえません。

 決してあきらめず、一度弁護士にご相談をいただくのが良いかと思います。

うつ病などの精神疾患に特徴的な症状を知っておく

 何年か前、新聞記事で、自身がオーバーワークになっていたという弁護士の体験談を読みました。オーバーワークになる中、自分が担当している労災事件などで知った、うつ病などの精神疾患に特徴的な症状が自身に出ていることを自覚し病院を受診した、受診していなかったら大変なことになっていたと思う、といった内容だったと記憶しています。その弁護士は、著書で勉強させてもらうなど一方的にお世話になっている弁護士だったので、あの人がそんな風になっていたのか、大変なことにならなくて良かった、という感想を抱きました。

 それからしばらくしてから、これは私も同じ状況になりかけているのではないか、と思う時期がありました。深夜に目が覚め、寝ようと思うけれども仕事のことが頭にどんどん浮かんできて、眠れない。日中も、仕事のことをぐるぐると考えてばかりいる。これは良くないと思い、意識的に、周りに相談するなど助けを求めるようにしました。

 仕事が背景となって労働者が精神疾患を発症してしまうケースの多くは、事業主が負っている職場環境配慮義務が果たされていないことが原因となっているので、職場環境配慮義務が果たされる方向で解決されるのが本来で、労働者が自己防衛をする義務はないと考えます。ただ、職場環境配慮義務が果たされる方向には進みにくい、あるいは職場環境配慮義務が果たされるまでには時間がかかるのが現実なので、可能な範囲で自己防衛術を身に付けておくことは、有用ではないかと思います。そのような点から、保健体育の授業などで、うつ病などの精神疾患に特徴的な症状を習う機会があると良いのではないかと思います。

 厚労省のホームページに以下のようなページがありましたので、ご紹介します。 
厚生労働省 みんなのメンタルヘルス「うつ病」について

精神障害の後遺障害

1 症状固定=治ゆとは

 うつ病などの精神障害にかかり、休職し、労災と認定された場合は、回復するまでの間、休業補償給付(給付基礎日額[※1]×80%×休業日数)や療養補償給付(治療費)の支給を受けることができます。

 しかし、症状が回復しないまま数年が経過することがあります。この場合、症状固定=治ゆしたか否かが大きな問題となることがあります。

 労災保険で、症状固定=治ゆとは、治療を受けても、症状に改善の見込みがないと判断された場合の状態で、一般的な「完治」とは異なり、症状が残る場合も含まれます。症状が残る場合には、後遺障害と認定することとされています。

 症状固定=治ゆと認定されると、休業補償給付や療養補償給付は打ち切られ、後遺障害についての給付を受けることになります。

2 仕事が原因の精神障害の後遺障害の考え方

 厚労省[※2]によると、仕事が原因の精神障害(非器質的精神障害)は、仕事によるストレスを取り除き、適切な治療を行うと、概ね半年から1年、長くても2~3年の治療により完治することが一般的とされています。

 そして、症状が残る場合であっても、一定の就労が可能となる程度以上に症状がよくなるのが通常とされています。そのため、後遺障害等級は、一番重い等級が第9級とされており、通常は、第7級以上の者に支給される障害(補償)年金を受け取ることはできません。

 例外的に、「持続的な人格変化」を認めるという重篤な症状が残る場合には、「本省にりん伺の上、障害等級を認定する必要がある」とされますが、あくまで「非常にまれ」な場合とされています。

3 問題点

 厚労省の考え方は前項記載の通りですが、実際の研究によると、労災認定後、4年が経過しても「治ゆ」に至っていない例は4割あるようです[※3]

 このような場合、労働基準監督署から、症状固定=治ゆしたとして、医師の作成する後遺障害診断書を提出するよう求められることがあります。交通事故で相手方保険会社が治療費の支出を抑えるために、治療を打ち切ることと同様です。

 症状固定したと認定されると、働くことができないような症状が続いていても、後遺障害と認定されて一時金が支給されるのみで、休業補償給付等は打ち切られることになってしまいます。

4 解決事例

 労働基準監督署が症状固定の意味についてきちんとした説明をしないまま促したため、医師から後遺障害診断書を書いてもらい、症状固定の取り扱いを受けた方から、後遺障害等級の申請に関する依頼を受けました。

 その方の症状はとても重かったので、高次脳機能障害における精神障害の後遺障害等級を参考に、後遺障害等級第2級として認定申請を行いました。

 すると、労基署は、驚いたことに、まだ重い症状が続いていることを理由に、症状固定を撤回してきました。労働基準監督署が症状固定の撤回をしたのは、第9級よりも重い後遺障害等級を認定する判断を回避するためと思われます。

 労基署が症状固定の診断を促したことだけでなく、仕事が原因の精神障害の後遺障害等級として重い等級が設定されていないことにも問題があると思います。

5 解決事例を踏まえて

 労基署に症状固定を促されたとしても、医師に相談し、症状固定の診断書を作成するには慎重にする必要があります。

 また、基準としては、後遺障害等級に第9級以下しかないとしても、症状が重い場合には、実際の症状について診断書をしっかり書いてもらい、第9級よりも上の等級の取得を目指すと良いと思います。

 医師が協力的でない場合は、別の医師に相談してみることもお勧めします。

※1 疾病が確定した日の直前の3カ月間、労働者に対して支払われた賃金の総額を、日数によって割った金額。残業手当は含むが、ボーナスは含まない。

※2 平成15年8月8日付け基発第0808002号 神経系統の機能又は精神の障害の障害等級認定基準3頁

※3 労災疾病臨床研究事業費補助金「精神疾患により長期療養する労働者の病状の的確な把握方法及び治ゆに係る臨床研究」(平成28年度 統括・分担研究報告書)3頁

息苦しさを感じる時代

 仕事が原因で精神障害に罹患し、その結果自死される方は本当にたくさんいらっしゃいます。令和元年に自死された方2万169人のうち勤務問題が原因・動機のひとつと考えられる方は1,949人だったそうです(厚生労働省『令和2年版過労死等防止対策白書』より)。

 私が自死の問題を心に留めるようになったのは、身近な方が自死されたことがきっかけです。その方は、明るく、趣味も楽しんでおられ、まったく悩んでいる様子は見えませんでした。亡くなられた状況からは、仕事が原因ではないか、と思われましたが、なぜなのか、なぜこのようなことが起こるのだろうか、と衝撃を受け、納得できない気持ちでいっぱいになりました。

 仕事が原因で心身の健康を失ってしまうのは弁護士も例外ではありません。弁護士仲間から、「仕事が心配で寝られない日が続いている。」、「仕事の悩みから精神科に通院し、服薬しながらなんとか働いている。」、「仕事量が多く休みなく働いており、仕事をしようとすると涙が止まらなくなる。」という悩みを聞くことも珍しくありません。

 SNSで、「コロナ禍で多くの人が苦しんでいるのに申し訳ないが、自分の夫は、いつも仕事に追われ続けていた。コロナ対策で在宅勤務となったことで、はじめて家族の時間を持ち、人間らしく暮らすことができた。」との書き込みを目にしました。人間らしく生きる、ということが非常に困難な時代に息苦しさを感じます。

 自死された方のなかには、日記やSNSなどにお気持ちを残されている方もおられ、それを読むと、周りの環境に追い詰められる様子に心が痛くなると同時に、これは、誰にでも起こりうる出来事なのだと感じます。自死された方やご遺族に原因があるのではなく、異常な周りの環境に原因があり、自死された方は、とても良心的な、ごく普通の感性をお持ちの方が多いように思います。もちろん、私が知っている限りあるケースについてではありますが…。

 私にできることは少なく、世の中が変わるのには時間がかかるかもしれませんが、微力ながらご遺族の方のお力になれるように、また仕事のせいで精神の健康を崩し自死されるというケースがなくなるように、活動していきたいと考えております。

うつ病のなせる業

 ご相談くださるご遺族の方は、よく自責の感情を話されます。

 平成14年度の厚生労働科学特別研究事業地域として行われた、住民の心の健康問題についての調査[i]では、生涯有病率(調査時点までの経験率)で、うつ病は6.5-7.5%、いずれかの気分障害は9-11%、いずれかの精神障害は18-19%との結果が出ました。

 うつ病等の精神障害は、誰でも、いつでもかかる可能性のある病気です。罹患のきっかけは、人それぞれですが、私自身、高校生の頃、友人がいないことについてひどく悩み、生きていることが辛い時期がありました。

 そして、上記調査によると、精神障害の経験がある者には、精神障害の経験がない者と比較して、数倍から数百というきわめて高い頻度の自殺行動(真剣に考えた、計画し試みた)がみられました。

 弁護団で事件に取り組む際に、よく参考とする文献として、精神科医である張賢徳先生の「人はなぜ自殺するのか」[ii]があります。張先生が東京で実施した自死の実態の調査(監察医務院の記録やご遺族等からの協力を得ての調査)によると、93例中、自死時になんらかの精神障害の診断がつく状態にあった方が89%、情報量の限界もあり診断不明だった方が9%であり、精神障害なしと断定できた方はたったの2%だったとのことです[iii]

 張先生が実施した、自殺未遂者に心理状態を聞き取る調査によると、うつ病の方の回答者の多くは、そもそもうつ病になったきっかけについては覚えていたものの、死にたくなったきっかけについては、何かがあげられるのではなく、「強い気分の落ち込み」が第一の理由として挙げられました。すなわち、うつ病の場合の自死は、「うつ病のなせる業」といえるということです[iv]

 ご遺族の方からお預かりした遺書を読むと、死ぬことしか考えられない心情がつづられていることがあります。客観的な第三者から見れば、心配し、なんとかしようとしている家族がいる、にもかかわらず、死ぬことしか考えられない状態で、心が痛くなります。まさに、「うつ病のなせる業」と思います。 自死は「うつ病のなせる業」ということを、心に留めていただきたいと思います。


[i]中国・九州地方の3件4市町村の20歳以上住民からの無作為抽出サンプルに対する大規模面接調査、回答を得たのは1664名。

[ii] 平成18年12月20日初版発行 勉誠出版

[iii]113-118頁

[iv] 139-147頁